民衆を治められる君主と寝首かかれる君主の大差 『君主論』が説く、リーダーに求められる振る舞い
風習・言語・制度が違う地域に移りこんだ君主は、近隣の弱小勢力集団の長および庇護者となって、その地域の強大な勢力を抑え、たとえ不測の事態が起こっても、自分と同じぐらい強い外部勢力が入り込んでこないよう警戒しなければならない。
とてつもない野心や恐怖心から不満を抱く人たちは、外部勢力を領土の中に引き入れようとするものだが、そういう危険は常にあると考えるべきだ。その昔、アイトリア人がギリシアにローマ人を引き入れたのもその例である。ローマが侵攻に成功した地ではどこでも、現地の住民がローマ人を導き入れたのだ。
さらに、強大な外国勢力が入り込んでくると、その地域の弱小勢力は、これまで自分たちを支配してきた君主への恨みや憎しみに駆られて、新たな勢力の側につくことになる。つまり、新たな権力者は弱小集団を簡単に手中に収めることができるのだ。
他者に権力を与えた者は自滅する
ただし、そうした弱小集団が力や権限を持ち過ぎないように注意しなければならない。そうすれば、新たな君主は自らの力に弱小集団の支援を合わせることで、他の勢力を次々に弱体化させ、その地の完全な支配者となれるだろう。
だが、こうした策をとれない者は、手に入れた地をすぐに奪われる、あるいはたとえその地を保持したとしても、多くの問題や厄介ごとにわずらわされることになる。
ローマ人は攻略した地において、この掟どおりの行動をとった。移住民を送り込むとともに弱小勢力を手懐けてその力が増大しないように抑えこみ、強大な勢力は叩き、外部勢力が入り込むすきを与えなかった。
例えばギリシアでは、ローマ人は、アカイア人やアイトリア人を味方につけ、マケドニア王国を打ち負かし、セレウコス朝の王を追放した。しかし、アカイア人やアイトリア人に功績があったからといってそれらの勢力を拡大させることはなかった。マケドニア王が言葉巧みに近寄ってきても、その勢力を弱体化させてからでないと味方になろうとはしなかった。ローマ人は、懸命な君主がすべきことをしたのである。
つまり、明君たるもの、目の前の紛争だけでなく将来に備えて万全の対策をとっておかなければならないのだ。
早くから予見していれば容易に対処できるが、目の前に近づくのを待っていては手遅れになる。医者もよくこう言うではないか、「初期段階の肺病は発見は難しいが、見つかれば治療はやさしい。ところが、遅くなればなるほど、簡単に発見できるが、治療は難しくなる」。国を治める場合にも同じことが起きる。
その国に生まれた病を早期に発見できればすぐに治すことができるが、反対に発見が遅れて誰の目にもわかる段階まで放置してしまうと、手の施しようがなくなるのである。
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