勉強に「本気で挑んだ人」だけが到達できる世界 勉強への「責任感」があれば、より高みを目指せる
何かを選択することは、その選択の結果に責任を負うことを前提とする。責任を負うとは、後悔なくすべてのエネルギーと精神と時間を費やして、望む結果を出すことだ。そして、もちろん望まない結果が出ることもありうるというのを認識し、そのようなことが起きても耐えるということだ。
責任を負うという態度で勉強に臨むべき
勉強はつねに幸せを保証してくれるわけではないし、勉強で成果を出すことだけが幸せとは言えない。だが、ひとまず決めたなら、責任を負うという態度で臨むべきだ。このような態度は、勉強を持続させるモチベーションと意志を与えてくれる。
そして、このような態度をもって試験を受けたあとには、精神的に安定した状態で結果を受け入れられるようになる。たとえ、よくない結果でも。責任をまっとうし最善を尽くしたということは、結果を受け入れ、ほかの道を探す勇気を与えてくれる。
オリンピックで銀メダルや銅メダルを取ったあと、心の底からよろこぶ選手の姿を思い浮かべてみてほしい。真の努力とは、自分自身で高い価値を与えられるものでなければならない。結果がついてこないからといって、それを卑下する理由はない。
数年間私は学生たちを指導してきたが、その中には熾烈な受験生活を経験したあと、自分は勉強でいい結果を出せないし、幸せになれないと気づき、ほかの道を選ぶ学生たちも少数ではあるが存在した。彼らは勉強していたときより、今が幸せだと言う。苦しくてつらい勉強をこれ以上しなくていいからではなく、スタートは遅れても自分に合う仕事をしているからだ。
彼らは、最大限のエネルギーを勉強に注いだからこそ、勉強で自分は幸せになれないと気づき、未練なくほかの道を選択できたのだ。責任を負うというのは、再挑戦するための心の踏み台になる。
自分にはどんな部分が足りないのか、それをどのように埋めればいい結果が出せるのかをありのまま受け入れ、現実に向き合うことができる。責任感があれば、勉強方法がよくなかったのか、努力が足りなかったのか、より細かいところまで敗因を受け入れることができる。
プライドにこだわり、実力や問題点を認められない受験生をこれまで多く見てきた。そのような学生たちは、例外なく長期間の受験勉強をすることになる。責任を持って勉強をすることは、何にせよ、必ず将来につながるのだ。
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