勉強に「本気で挑んだ人」だけが到達できる世界 勉強への「責任感」があれば、より高みを目指せる
努力の程度がどうであれ、ひとりで長い時間何かをするのは大変なことであり、そのうえ、うまくいかない問題点を自分自身で探してムチを打つのはつらい。それに、受験生の間にもそれなりの関係性ができるので、彼らからどのように見られるのか、イメージも重要だ。しかし、どんな瞬間にも私たちが追求する目標を忘れてはならない。
うまくいかない原因を勉強そのものではなくほかのところで探すのは、目標を忘れているのと同じだ。「合格」ではなく「模範的な受験生」になることが目標になっているからだ。当然、こんなふうに考える受験生は合格からますます遠ざかることになる。
幸せになる方法のひとつとして「勉強」を選択した
試験勉強をしているときは、自分のことを全面的に信じなければならない。その信頼は、自分がした選択とその結果に対して全面的に責任を負うという姿勢からはじまる。そして、この姿勢が心理的安定をもたらすのにも役立つ。
勉強は、幸せになるためのさまざまな方法の中から自分が選択したことだ。もちろん中学生や高校生、小学生の場合は、自分ではなく両親や他人の選択かもしれない。しかし、私はその場合でも、子ども自身が、両親をはじめとするまわりの人の意見を参考にして勉強を選択したのだと考える。
もし、勉強ではないほかの選択をしたいなら、両親に根拠を見せて説得しなければならない。他界した伝説的なテノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティは、声楽家になると言ったとき、両親に反対されたという。何度も説得したすえに、条件つきで両親の許しを得ることができた。
その条件とはまさに「一定期間内に成果を出す」。伝説的なテノール歌手でさえ両親の反対によって、一定期間に成果を出すことを条件に許しを得ることができたのだ。したがって、ほかの可能性を示して両親を説得できなかったときにも、やはり言ってみれば人生をもっとも幸せなものにできる方法のひとつとして勉強を「選択」したと見ることができる。
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