女性の「東大入学」を要望し続けた姉妹の悲運 最初に門戸を開いたのは東大ではなかった

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東大の入学式では例年総長の式辞に加え来賓者の祝辞が読まれ、注目を集めている(写真:黄石/PIXTA)
コロナから4年目の春。東京大学は久しぶりに学生・保護者揃っての入学式を行いました。東大では例年総長による式辞とゲストスピーカーによる祝辞が述べられますが、近年では取り分け注目を浴びたのは、2019年の入学式の上野千鶴子氏の祝辞でしょうか。当時、話題になった東京医大の女子差別問題に言及したことで、東大でも女子生徒の比率が上がらないことが問題視されました。あれから4年、今年ついに2割の壁を越えて、女子の合格比率が過去最高の22.7%を超えました。
実は東大に女生徒が初めて入学したのは、1946年(昭和21年)のことです。戦前、東京大学はそもそも女子学生の入学を認めていませんでした。そういった時代を乗り越え、女性が東大入学を掴み取るまでの長い歴史を、東大名誉教授の石井洋二郎氏が上梓した『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』より、一部抜粋・再構成してお届けします。
前回:『東大入学後に全員「教養学部」で学ぶ深い理由

最初の女子入学生

1946年5月1日、戦後初の入学者たちを前にして南原総長が述べた式辞は「真理と個性」と題されています。その冒頭部分を見てみましょう。

国をあげての戦争は、その国の運命にとつてと同じく、個人の生涯に対しても、大なる影響を与へずには措かぬ。殊にそれが惨憺たる敗北と降伏に終つた我が国今次の大戦に於ては、決定的と謂はなければならぬ。しかし、戦に敗れたそのことは必ずしも不幸であるのではない。国の将来は国民がこの運命的事件をいかに転回し、いかなる理想に向つて突き進むかに在ると同じく、個人の未来もこれを転機として、いかなる新生を欲して起ち上るかに懸つてゐると思ふ。

敗戦の経験は国家のみならず個々人の運命も大きく変えてしまったけれども、これをただ不幸とのみとらえるのではなく、新たな生への契機として活かさなければならない、というメッセージは、先の慰霊祭で読み上げられた告文の精神を受け継ぐものです。

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