「考え方が昭和すぎ」嫌われる年配社員の"活用法" 儒家・荀子「性悪説」で読み解くリーダーの資質
それまで伊藤は年上の馬場とうまく距離を詰められず、正面から問題点を指摘することはしてこなかった。しかし、その日はさすがに彼を呼び止めた。
「馬場さん、今日の説明会のときの発言、あれは少し問題があります。もう少し会社の方針を理解してもらわないと若手に示しがつきませんよ」
「理解? できませんね。今は昔のように黙っていても数字が上がる環境じゃないんです。だから、一人ひとりが高い意識を持って仕事をしなきゃ。それには目が行き届かないリモートじゃダメなんです。そもそも原則出社の方針にうちのメンバーから反対意見は出ませんでしたよ。なら、問題はないでしょ?」
強い口調でそう言って、部屋を出て行く馬場。伊藤はただ、無言でドアを見つめるしかなかった。
厳しいルールだけでは人は動かない
孔子や孟子と並んで儒家の中心人物だった荀子は、「性悪説」を唱えたことで知られています。
一般的に「性悪説でマネジメントする」というと、部下を完全に信用せずに、疑いながら管理するというイメージがあるのではないでしょうか。
私は「性悪説」は正しく理解されていないのではないかと思っています。
『荀子』を丁寧に読むと、人間の中には「悪」がある。しかし、それは終生変わらないものではなく、むしろ正しい対応をすれば良くなっていく。努力をすれば善になれるのだ、というメッセージが読み取れます。
孔子や孟子が説く「善い行いをしよう」「人は本来的に善である」という主張は確かに正しいかもしれない。
しかし、理想的すぎるのではないだろうか。
そのようなバランス感覚から、悪に傾きがちな人間の弱さを見抜き、等身大の人間像を示したのが荀子だったのです。
荀子は人が善になるためには、仁義法正、すなわち正しく行動することとルールを守ることが大切なのだと説きました。
古代中国の強国だった秦は厳格なルールで国を統治しました。その手法は一見うまくいったかのように見えましたが、繁栄を長く維持することはできませんでした。そこから導き出されたのが次の真理です。
「ルールで縛るだけでなく、リーダーが徳を備えて正しい行動を示さないと、国民はついてこない」
つまり正しさとしくみはどちらも欠かせないということでしょう。
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