「アリーナブーム」の先駆けとなるはずだった豊橋市ではついに住民投票実施へ。なぜ計画は迷走が続くのか

号砲が撃ち鳴らされたのは8年ほど前だった。2017年3月に首相官邸で行われた「未来投資会議」で、佐原光一・豊橋市長(当時)は安倍晋三首相を前にこうプレゼンテーションした。

「地域経済発展の起爆剤として機能する新アリーナについて、2020年代初めの建設を目指して努力をしているところです」
愛知県南東部の豊橋市には、港湾部に1989年に竣工した市総合体育館がある。この体育館は、プロバスケットボール・Bリーグの開幕に伴い、2016年から地元チーム「三遠ネオフェニックス」のホームアリーナになっていた。しかし、市中心部から約5キロメートル離れた立地や老朽化、そしてBリーグ1部(B1リーグ)の施設基準を満たさないという課題があった。
折しも東京五輪を控え、国はスポーツを成長産業と位置付け、従来のスポーツ施設を超えたスタジアム・アリーナ整備を促進する方向性(スタジアム・アリーナ改革)を打ち出していた。佐原市長はこの流れに乗り、中心市街地活性化を狙って城址公園である豊橋公園内に新アリーナ(多目的屋内施設)を建設する構想をまとめたのだ。
「ローカルアベノミクスの深化」と評価
当時は安倍首相が独自の経済政策・アベノミクスを推し進めており、豊橋市の構想を官邸側は「ローカルアベノミクスの深化」と評価。会議の最後に安倍首相自ら、豊橋のようなアリーナ・スタジアムを「2025年までに20カ所整備する」と明言した。

これが実質的に、全国的な“アリーナ建設競争の号砲”であり、上表のように全国でアリーナ建設計画が進んでいる。しかし、住民や議会の反発などの壁にぶつかっている計画も少なくない。豊橋市にとっても市民の分断を招く長い迷走の始まりとなった。
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