校則に反発した生徒に校長が伝えた「ある一言」 子どもたちが主体となって物事を動かす意味
ところで、校則を変えようと動いている生徒も、学校説明会やワークショップに積極的に参加している生徒も、みんな受け身ではなく当事者として向き合っています。
受け身になると「こんなはずじゃなかった」となります。だから私は学校説明会で、
「うちは何も約束できません。ただ、問題があれば一緒に解決することはできます」
「本校はクレームはなしでお願いします。そのかわりプランを出してもらったら一緒にやりましょう」
と伝えています。
生徒からの「授業改善計画書」
生徒たちが授業改善提案書をもってきたことがありました。英語のライティングの授業改善案でした。担当はベテランの女性教員で、人柄は素晴らしいのですが、正直いって、授業は教科書を読んでいるだけでした。
授業改善提案書だと聞いたときには、不満が述べられているだけと思ったのですが、読んでみると、提案は先生への要望だけではありませんでした。自分たちが授業に参加できていないところに問題がある、という指摘がありました。
先生は講義をするだけではなく、生徒に作業をさせて、そのあとにワンポイントでアドバイスをしてください、そうすれば私たちはフルパワーでやります、と書いてありました。不平不満をいうのでなく、授業のデザイン案を示し、先生と生徒の役割が明確に書かれていました。
ベテランの先生にしてみれば、生徒から突き付けられた授業改善案など気持ちのいいものではなかったでしょうが、先生は提案を受け入れ、授業を改善してくれました。
新しい授業のあと、その先生が「教員生活30年目にしてはじめて、顔を上げて授業に参加している生徒を見ることができました」と、驚いた表情で話されていたことが、とても印象に残っています。
くり返しになりますが、私がつくろうとしている「ミライの学校」は、生徒も先生も、失敗を恐れず、チャレンジできる「みんなでつくる学校」です。学校の主役は生徒です。肝腎なのは、チャレンジできる学校というコンセプトに共感し、一緒にチャレンジしてくれる仲間を増やしていくことです。チャレンジを恐れないマインドを身につけた生徒や先生たちが、さまざまな場面で、学校を活気づけてくれているのです。
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