校則に反発した生徒に校長が伝えた「ある一言」 子どもたちが主体となって物事を動かす意味
校則というのは不思議な存在で、法律や条例で規定されているわけではありません。学校が伝統的、慣習的に定めているだけのものです。学校によってさまざまだと思いますが、私の知るかぎり、校則を改定する手続きについての記述がどこにもないことが多く、だれがどのような権限と責任で校則を定めているのかはっきりしません。
だから、校長の権限で勝手に校則を改定することはできません。できるかもしれませんが、校長が勝手に改定することを正当化できる根拠はありません。
私個人は、校則というのは「学校というコミュニティを維持するためのルール」だと思っています。先生が生徒を縛るためのものではありません。憲法や法律が、日本というコミュニティを維持するためのルールであるのと同じです。だから、選挙で選ばれた国民の代表が合議で法律を決めるように、校則は、学校というコミュニティの一員である先生と生徒たちの合議で決めればよいと思うのです。
日本では法律は、違反者を罰するものというイメージが強いようですが、本来は、憲法に象徴されるように、社会の枠組みを定めるものです。最大公約数的な幸福を実現することが、法律の本来の目的です。校則も同じです。学校というコミュニティの枠組みを定め、構成員の幸せな学校生活を実現するのが、校則の役割のはずです。
自分たちが主体となって物事を動かす
校長室を訪ねてきた生徒たちの話を聞いてなるほどと思ったのは、校則に、たとえばなぜ髪型に決まりがあるのか、なぜスカートの長さに決まりがあるのか、納得できないから、その理由を知りたいという訴えでした。私も「そやな」と思いました。私自身も納得ができず、理由を説明できない決まりが沢山ありました。だから、自分たちで変えてみたらと、提案したのです。
校則の改定は、生徒会と有志の先生の間でまずは議論をするところから動きはじめました。
先生も生徒もどちらも大もめで、けんか腰の活発な議論が戦わされています。生徒たちには、「多数決では決めないこと」「全体の7割方が満足し、3割は不満が残る」ぐらいの結論が落としどころだよとアドバイスしています。これからどう動いていくかまだわかりませんが、大事なのは「自分たちが主体になって物事を動かす」ことです。
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