女子高生の「かわいい制服」が管理を駆逐した訳 「社会への心構え」「集団のシンボル」は昔の思想
厳しい校則により制服着用が義務づけられていた
制服は生徒管理の象徴。これは1960年代の生徒による制服廃止運動で掲げられたスローガンだった。生徒が管理と受け止めたのは、学校側が規範とする高校生像に強く反発したからである。制服や頭髪といったヴィジュアル面での規制、登下校時に飲食店への立ち寄り制限、男女交際の禁止、アルバイトの禁止など、生徒の生活面での厳しい校則を見直すように求めた。
地方都市では、学校から帰宅してからも、買い物に出かけたり友人宅に訪問したりするなど理由のいかんは問わず外出時には、制服着用を義務づける高校もあった。いまでいえば、ブラック校則といっていい。
1970年前後の制服自由化要求では管理が見直されている。自由化が勝ちとられてから入学した高校生は造反することをやめ、学校や社会のありように興味をもたなくなった。
これは1970年前半ばから1980年代前半にかけてのことであり、高校生は三無主義、五無主義(無気力・無関心・無責任。それにプラス無感動、無作法)と批判され、「しらけ」世代とも呼ばれた。
1980年代半ばになると、千葉県、愛知県の一部の高校で厳しい管理教育が行われている。愛知県の県立の新設高校で行われていた集団訓練は軍隊式で教師から罵声がとび、殴られるなど、あまりにも異常だった。校則を少しでも破ったり、試験の成績が悪かったりすると体罰が待っているその行きすぎた教育内容にメディアから何度か批判されたことがある。
ある学校では制服規定についてこう記されている。
「服装は社会に対する心構えのあらわれである。制服は集団のシンボルである」
これは次のように読み解くことができる。制服着用とは、社会に対して自分たち高校生はまじめにきちんと生活している、また自分たちは社会の一員であることを自覚させるためだ、「集団のシンボル」については、教師側のロジックであり制服の集団は管理しやすいという発想に裏打ちされる。
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