あの家康を翻弄「名将・真田昌幸」の裏切り処世術 「こんな部下は嫌だ」家康を激怒させた寝返り
戦国の世で頭角をあらわした真田氏は、武田氏の家臣として実力を発揮していましたが、主の武田氏は長篠の戦い(1575年)で信長に敗れてしまいます。この長篠の戦いで、当主の真田信綱と弟の昌輝が戦死してしまったのです。
そこで、他の家に出されていた昌幸が呼び戻される形で新当主となります。昌幸は、武田が滅亡した後は織田信長に従い、織田家の重臣・滝川一益のもとにいました。
……が、その3カ月後には「本能寺の変」が起き、信長も亡くなります。すると、すぐさま旧武田の領地をめぐって北条氏直、上杉景勝、徳川家康といった大名たちが火事場泥棒に参戦し、関東は「天正壬午の乱」と呼ばれる混乱状態に陥ったのです。
裏切り裏切り、また裏切り
昌幸はこの混沌とした局面で、表面上は一益に従っていました。が、「スキあり!」とばかりに没収されていた沼田城を取り戻し、同時に上杉景勝のもとについたのです。
そのまま領地を拡大していく昌幸でしたが、北条氏直が昌幸の本国・信濃を攻めようとしていることがわかると、「北条に攻撃されてはたまりませんなぁ」と、今度は氏直に従います。その後、上杉景勝は本国で家臣の反乱が起こったために仕方なく戦線離脱。他方、北条氏と徳川氏は引き続き戦い続けており、北条氏一歩リードの状態でした。
ここで、昌幸のもとに使者がやってきます。家康から「うちを助けてくれない?」と声がかかったのです。この誘いに昌幸は……なんと応じました。北条から家康に寝返ったのです。
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