「斎藤」「斉藤」「齋藤」「齊藤」・・この差って何? 錦織圭が「ニシキオリケイ」ではない理由
高信氏がかつて調べたときのデータによれば、日本には「サイトウ」と読む姓が31種類は存在しているはずだという。
中でも断然トップが「斎藤」で15万0494件。続いて「斉藤」が7万3424件。「齋藤」が1万7071件。そしてグッと減って「齊藤」が1111件。
以下、「西藤」「西塔」「才藤」「済藤」「西頭」と続き、さらに「西等」「佐井藤」「再藤」など日本全国で100件を割る小数派のサイトウさんが21パターン確認されているという。
その由来に衝撃を受ける
由来について伺うと、高信氏からは衝撃的な答えが返ってきた。
実は少なくとも、「斉藤さん」「斎藤さん」「齋藤さん」「齊藤さん」の4つの姓は、すべて同じ「斎藤」が由来で、残る3つの姓は「役所の人間の書き間違い」による、とのこと。
書き間違い……。
まさに冒頭で、ビジネスマンにとってご法度だと書いた事態が、役所で起きていた!?
これはいったいどういうことなのか。
時は平安時代。藤原氏の一族である藤原叙用(もちのぶ)が、伊勢神宮の近くにあった役所の「斎宮寮(さいぐうりょう)」の長官を務めていたことから、「斎宮寮(さいぐうりょう)の藤原氏」ということで「斎藤」を名乗ったことが始まりだという。
それ以降、多くの「斎藤」が誕生することになるが、明治時代になると、それまで貴族や武士など高貴な人間しか名字を使うことが許されていなかったのが、国民全員に名字を名乗ることが義務付けられるようになり、多くの庶民が役所に行き、名字を申請した。
このとき人々は口頭で名字を伝えたが、当時、すべての役人が読み書きをできたわけではなかったため、
「サイトウでお願いします!」
と言われたのに対し、役人はそれぞれ思い思いの「サイトウ」を書いてしまったというワケ。
具体的には「齋藤」は旧字体で書いてしまったパターンで、「齊藤」は旧字体の書き間違い。そして「斉藤」は本来の「斎藤」の書き間違い、というのだ。
そもそも「斉」は当時「さい」ではなく「せい」と読んでいたので、単純な間違いとしか言いようがないらしい。