健康のときは死について目を背けていられたとしても、がんなどの病気に罹患すると否応なしに自らの死を強く意識するようになり、吉成さんのように強い恐怖と向き合わなければならない人もいるわけです。
さて、吉成さんとの対話に戻ります。
清水:それでは、まずお聞きしますが、吉成さんは天国とか、輪廻転生とか、自分自身の存在が永続するということを信じていますか?
吉成さん:あまりそれについて考えたことがありませんでしたが、おそらく来世はないと感じています。
清水:わかりました。それではその前提で、私の死に対する考えをお話ししようと思います。これはあくまでも理屈なので、吉成さんの恐怖という感情にどれだけ働きかけるかはわかりません。でも、とても参考になったという患者さんもいるので、お伝えしてみます。
吉成さん:はい、ぜひ聞いてみたいです。
死の恐怖は人間の脳が作り出したもの
清水:死に対する恐怖は、危険を避けるために人間の脳が作り出してきたものです。しかし、「人が実際に死そのものを体験することはない」ということを強調したいです。
非常に不快なこと、たとえば暴力で肉体が痛みを感じたり、精神的な屈辱を与えられたりする場合は大変苦しい思いをしますので、これらのことを恐れることは合理的でしょう。しかし、死はこれらとは性質がまったく異なります。なぜなら、死んでいるときはすでに脳の認知機能が停止していますから、死を認識することはありません。私たちは死というまぼろしを恐れているのです。
吉成さん:まぁ、そう言われてみればそうですが……。
清水:夜に床に就いて、眠くなってきたという感覚は感じることができますが、眠りにつくときの瞬間を私は認識したことがありません。それと同じように、「あぁ死にそうだな」ということはわかるかもしれませんが、死そのものは知覚できないので、死んだ瞬間から一切の不快な体験はしないでしょう。
吉成さん:一切の不快な体験をしない。おそらくそうでしょうが、ほんとうにそうなのか。
清水:死んだ人の体験談を聴けないのが、この悩みの難しいところです。もし経験者が、「全然怖くないよ、大丈夫だよ」と口を揃えて言ってくれれば安心なんでしょうけどね。ただ、死後に何らかの体験をするとしたら、生まれる前の世界も何らかの体験があるのではないでしょうか? それはどうでしたか?
吉成さん:生まれる前の体験!? 確かに何も覚えていないです。
清水:ですので、私の主張は「実際に死そのものを体験することはない。死に対する恐怖は、人間の脳のクセで作り出してしまうものなので、この脳のクセと上手に付き合っていけば大丈夫」ということです。
吉成さん:上手に付き合う? どうすればいいですか?
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