ーーメディアで紹介される塩谷さんを見て、「自己実現を果たした成功者」のようなイメージを持った方もいると思います。
塩谷:実際は、調子が良くないままメディアにたくさん出るようになったので、余計に疲弊していったんですよ。私の場合、メディアに出たくて出たというより、気づいたらどんどん知名度が上がっていったという感じで……。
だんだん、メディアで紹介されるキラキラした自分と、本当の自分とのギャップを感じるようになっていきました。 「塩谷さんに憧れてます!」と、ファンの方に言われたりすると、今ならとても嬉しいんですが、当時は自分の虚像が独歩きしてる気がして、怖くなってしまったり。
1990年生まれ。設計事務所、高円寺の銭湯・小杉湯を経て、画家として活動。早稲田大学大学院(建築専攻)を修了後、有名設計事務所に勤めるも、体調を崩す。休職中に通い始めた銭湯に救われ、銭湯のイラスト『銭湯図解』をSNS上で発表。それをまとめた書籍を中央公論新社より発刊。レストラン、ギャラリー、茶室など、銭湯にとどまらず幅広い建物の図解を制作。TBS『情熱大陸』、NHK『人生デザイン U-29』など、数多くのメディアに取り上げられている。好きな水風呂の温度は 16度。
2度目の休職へ
塩谷:一番精神的に苦しかったのが、おととしの12月ぐらいです。 ちょうど『銭湯図解』を出版して、『情熱大陸』に出た後くらいのときですね。
ーー世の中的には、塩谷さんがすごく注目されていた時期ですよね。
塩谷:そうですね。その頃は、「アトリエエンヤ」という屋号を作って、小杉湯以外の絵を描く仕事を引き受け始めたタイミングでもあり、絵を描く仕事をやりたいという気持ちがどんどん強くなっていました。
一方で、銭湯での仕事も責任が重くなっていったんです。そうすると、番頭の仕事をやっているときに、「この仕事がなければ絵が描けるのになあ」と、思い始めてしまうんですよ。
そんなふうに思っている自分が嫌でした。「小杉湯には恩があるのに、なんでそんなふうに思ってしまうんだろう」と。だんだん、気持ちがぐちゃぐちゃになっていって。
その頃、寝る直前に目をつぶってると、パッと自分が死ぬイメージが浮かぶようになってたんです。冷や汗をかいて、寝られないんですね。
それで不眠になったのと、会議中に涙が止まらなくなることもあって。「さすがにヤバい」ということで、病院に行ったところ、また休職することになりました。