「プロになっても楽勝だな」と胸に抱きながら、自信満々に余裕しゃくしゃくで活動し始める。
よりいっそうのまばゆい光を浴びるつもりでいる「しんとすけ」は、プロになって2年たったころ、「あれ?」と眉をひそめるようになった。
「アマチュア枠として決勝に行けていたんだ」
アマチュアで2年連続「O-1グランプリ」決勝に進出していたのに、プロになると決勝にさえ行けなくなった。
「アマチュア枠として決勝に行けたんだとなんとなくわかりました。『自分たちが世界で一番面白い』と思っていたのが、オリジンに入って『沖縄一』はおろか、『那覇一』も危うい現実を見ました。でも、『全国で売れたい』という思いは、一度も折れたことがないです」
だからといって、強い思いだけで売れるはずもなく、「3年後に東京に行って売れる」という青写真は簡単に消え去り、バイトをしないと満足に家賃や光熱費が払えない日々が続く。
「芸人のギャラは、月5万円程度。男の一人暮らしだったら、10万もあれば大丈夫なんで、残りの5万を投げ銭で稼ぎました」
首里のすけは、相方の「しん」と同期の「じゅん選手」と一緒に3人で夕方から居酒屋に飛び込みで入り、ネタを披露しては投げ銭をもらう生活を1年半続けた。
「あの1年半は相当鍛えられました。雨の日だろうと明日の金がないので、3人で何軒も居酒屋に入っては、ネタを見せ続けました」
酔っ払い相手にネタを見せ、時に罵声を浴びたり、無理難題を要求されたりしても、明日の生活のために身体を張って芸を見せた。
投げ銭をもらって生活していた28歳からの1年半は、首里のすけにとって苦難の時期というより、「瞬発力」「間合い」「空気を読む洞察力」など、お笑いの基礎を固める黎明(れいめい)期だったように思える。
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