1995年単身ミャンマー入りした日本人医師の苦闘 感性の声に従い、それでも前に進もうと決めた
どんどんどんどん、こういう子どもたちがやってきて。人間って、できない言い訳得意でしょう? 皆さんもでしょう? 僕も言い訳はいくらでもできて。
「こんなところで手術してくれって言われて、1人でどうやって手術できるんだ」とか。あるいは「手術の道具どうするんだ」とか。「こんなところで手術したら感染するだろう」とか。いろいろ言い訳できるんですよ。
だけどね、僕はこういう子たちを助けたいと思って、医者になったんです。そして、ようやく彼らが僕の前に現れてくれてるのに、手も足も出なかったんですね。その時、今のままやれることをやっておこうとも思いました。でも、「このままの状態でやり続ければ、きっと僕はやめるかもしれない」とも思いました。
再び「感性の声」に従って。それでも前に進む
そんな時、また僕の感性の声っていうか、ふと自分の中に落ちてきたのが、この言葉だったんですよね。
「それで、お前、どうする?」
やろうとも、やれとも、何も言わないんです。「それで、お前、どうする?」だったんですよ。進むか、去るか。止まったままになるか。
その言葉が自分の中にふと浮かんだ時に、素直に「進もう」と思ったんです。「それでも進もう」と。それで手術をやるって決めました。だって、そのために僕はこの10年以上生きてきたのだから。
部屋を改造して、窓をたくさん作って。電気は1日2時間しかこない。あとは停電で真っ暗です。電力ないんで。だから、スタッフに懐中電灯を持ってもらって、みんなに手術野を10個の懐中電灯で照らしてもらう。
いろんなものを入れたら感染するじゃないですか。部屋は閉めきって。もちろんクーラーもききませんから、四十何度になるんですよ。汗びしょびしょになりますけど、手術はできるでしょ?
そうやって、とうとう6カ月後ですよ、初めての手術にこぎ着けます。今では僕だけじゃないですね。僕の仲間たちが今、僕がこうしてしゃべっている間もやってくれてますけど。年間数千件の手術をやれるようになってる。
最初の一歩は、ここだったと思うんですね。「それでも前に進もう」と思った、たったそれだけの小さな決意だったと思うんですよ。
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