1995年単身ミャンマー入りした日本人医師の苦闘 感性の声に従い、それでも前に進もうと決めた

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そうするとですね、やがてですよ、こういう子どもたちが、親に連れられて、やってくるようになります。これは脳瘤という、東南アジアに非常に多い風土病みたいなものです。頭蓋骨に穴があいていまして、そこから脳が飛び出してくるような生まれつきの異常ですね。

この子なんかは感染を起こしていますから。この皮膚の1枚向こうに髄液が通っていて、脳がありますから、そこ突破されたら死ぬわけですね。こういう子どもたちが親に連れられてやってくる。

やけどで歩けなかった男の子。手術で歩けるように。(写真:NHK番組「最後の講義」)

やけどの子もいっぱい来ました。やけどは熱いから、じっとしてるんですね。皮膚が溶けたまま、くっつくみたいな子どもたちがたくさんいて。この男の子(上の写真)は5歳ぐらい。

手術して歩けるようになった男の子が10年後大きく成長した姿(写真:NHK番組「最後の講義」)

生まれて6カ月で大やけどをして、左足は甲とすねがひっついて。こんな子どもが、親に手を引っ張られてミャンマー中から集まり始めるんですね。「先生、手術してください」って言うんですよ。でも、医者は僕一人しかいない。あと通訳の男性とか、車の運転手とか、現地で事務してくれる女の人とか、そういう人たちしかいないんですよ。

明日起きたら必ず手術するって言おう、言ってあげよう

手術できないから、「申し訳ない」って彼らを帰すじゃないですか。最後の希望だと思って借金までして来てくれているから、彼らが帰っていく背中が本当に寂しいんですよね。

その背中をね、見送るたびに、だんだんストレスになってくるんですよ。「明日起きたら必ず手術するって言おう、言ってあげよう」と思って寝るんです。けど、翌朝起きたら、また同じ1日が始まるだけでしょう?

次ページ「それで、お前、どうする?」
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事