好き嫌い激しい正岡子規、夏目漱石に「じゃれた」訳 一時は松山で共同生活を送ったこともある親友
真面目で成績優秀の夏目漱石とは対照的
「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(正岡子規『病牀六尺』)
不治の病とされた骨の結核「脊椎カリエス」を患った正岡子規。6尺、つまり、約1.8メートル四方の自室すらも広大に感じるほど、身動きするたびに激痛に襲われた。
壮絶な闘病生活を送った子規だが、病に倒れる前には周囲を圧倒するほど、精力的に活動していた。中学時代から漢詩に傾倒しつつ、自由民権運動の演説にも熱中。自らも学校の講堂で演説を行うアクティブさだ。
そんな子規は地元の松山にくすぶってはいられずに、16歳で上京。大学予備門に入学している。大学時代に出会ったのが、生涯の友となる夏目漱石である。2人とも落語が好きで意気投合するが、マジメで成績優秀だった漱石と子規では、ずいぶんとタイプが違った。漱石がこうあきれている。
またあるときは、突然手紙が来たかと思えば「大宮の公園の中の万松庵に居るからすぐ来い」という。
行ってみれば、奇麗な店で子規は奥座敷に座っていたという。ウズラを焼いたものなどを食しながら、漱石は子規のことを「金持ちなのだろう」と誤解したが、実際は単に金遣いが荒いだけだった。
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