好き嫌い激しい正岡子規、夏目漱石に「じゃれた」訳 一時は松山で共同生活を送ったこともある親友

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豪快な子規は、漱石いわく人間関係においても「非常に好き嫌いのあった人」だったが、漱石とは妙に気が合ったらしい。

子規は漱石が抜群の英語力だけではなく、漢文の素養もあることに感心し「我が兄のごとき者は千万人に一人なり」と舌を巻いている。一方の漱石も、ただ子規の見識の広さに一目を置いた。

彼は僕などより早熟で、いやに哲学などを振り廻すものだから、僕などは恐れを為していた。僕はそういう方に少しも発達せず、まるでわからん処へ持って来て、彼はハルトマンの哲学書か何かを持ち込み、大分振り廻していた(夏目漱石『正岡子規』)

こやつ、なかなかやるな――。青春時代に人生が交差した2人は、互いに自分にはないものを認めてリスペクトしたのである。

期せずにして訪れた再会

子規が21歳で喀血(かっけつ)すると、心配した漱石が友人とともに駆けつけている。子規は喀血した夜に、一晩に50句も創作した。相変わらず無茶をする子規に、漱石としても気が気でなかったことだろう。

結核を発病後、子規は帝国大学文科大学国文科を中退し、新聞記者になる。子規の将来を案じた漱石は「まずは大学を卒業したほうがよい」と助言したが、言うことを聞く相手ではない。

一方の漱石は無事に大学を卒業。英語教師になっている。2人は別々の人生を歩み始めた……かに見えたが、思わぬ場所で再会を果たす。

漱石は子規の故郷である愛媛県松山市の中学に赴任する。一方の子規はと言えば、従軍記者として戦地である清に向かうが、途中で喀血。神戸の病院に入院することになった。それを知った漱石は子規に「保養がてら帰郷しないか」と手紙で勧めている。同情していると思われないためだろう。漱石は「俳句も教えてもらいたい」と書き添えている。

病院を退院した子規は、漱石のもとに身を寄せることになり、友情物語が再び幕を開けた。

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