「1000人の死化粧」をした人が見てきた人生の最期 遺体から声なきメッセージを受け取って

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宿原寿美子さん(撮影:今井康一)

宿原さんのお母様は非常に厳しい人だった。娘がアパレル業界で働いていた時代に店長に抜擢されても、同じ葬祭業の世界で活躍して周りから認められても、表立っては一切褒めてくれなかったそうだ。

「でも亡くなった後で母の友人が、『お母さんは、娘の性格が自分と似ているから、あえて厳しく突き放したほうが成長すると言っていたのよ。葬祭業の世界にも、本当はもっと早く入ってもらいたかったようだけど、言い出せなかったみたい』と教えてくれて。その話を聞いたとき、葬祭業の家に生まれ育った私にとって母は、親である前に人生の先輩であり、この仕事の師匠だったのだなと思いました。残念ながらそういう話を本人とすることはもう叶いませんが……」

できるだけ悔いのない看取りや見送りをするために

親子だからといって、何でも話せてわかり合えるわけではない。むしろ親子だからこそ話せないこと、話しにくいこと、話しても通じないことは多いのではないだろうか。それでも、できるだけ悔いのない看取りや見送りをするために、普段からどんなことを心がけ、何から話せばいいだろうか。

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「その人の生き方は逝き方に表れると思っています。ですから、自分の親が生きている間に好きなことや大切にしていることを観察して聞いていただけるといいかと思います。それがわかっていれば、その人らしい看取りや見送りの準備ができますから。

また、親子の会話でいきなりそうした話題を持ち出しにくい場合は、親戚や共通の知人、あるいは著名人が亡くなったときに、その話から入って親の考えを聞いてみるのもいいでしょうね。

私の母は、『死ぬときは一瞬で逝きたい、長く患って子どもに迷惑をかけたくない』と、事あるごとに話していました。母には、3年間ほど延命をして亡くなった義妹がいて、そのときの家族の苦悩や変わりゆく義妹の様子を見ていたので、自分が同じようになったらとの思いもあったようです。

そのため母が倒れて脳死に近い状態になったときは、妹と相談して本人の意思を尊重しようということになり延命治療はしませんでした。ですが正直それも正解だったのかどうか? 悩まなかったと言ったら嘘になります。ただ生前母が、もしものときのことを何も話してくれていなかったら、決断できなかったかもしれません。最後は、私が母にメイクをして妹と共に旅支度をしたので、母らしい幕引きができたように思います」

少子高齢化で家族のかたちが多様化し、コロナ禍の影響で人間関係も希薄になっている。医療の発達によって「人の死」も日常から遠ざかっている。しかし宿原さんのような死化粧師の存在が求められているのは、人の死に向きあう意味が問い直されているからだろう。死を想えば今を生きようという気持ちが強くなる。彼女の生き方はそれを伝えてくれているようにも感じた。

樺山 美夏 ライター・エディター

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かばやま みか / Mika Kabayama

リクルート入社後、『ダ・ヴィンチ』編集部を経てフリーランスのライター・エディターとして独立。主に、ライフスタイル、ビジネス、教育、カルチャーの分野でインタビュー記事や書籍のライティングを手がける。

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