父親の葬儀で知った「人は何のために働くのか」 20年前の辞表がつないだファミマ社長就任
もう二度と逃げない
澤田貴司は1957年、石川県に生まれている。山あいの標高900メートルにある吉野谷村(現・白山市)だ。積雪が3メートルにもなる豪雪地帯。小学校の同級生は11人しかいなかった。小学校、中学校と生徒会長を務め、一方で野球部に席を置いた。
高校は山あいの家からは通えず、下宿生活で金沢市内の高校に通った。野球部に入部したが、甲子園への出場経験もあった学校。厳しい基礎練習の日々に澤田は絶えられず辞めてしまう。勉強ができなくなる、が口実だった。
「でも、本当は自分のレベルでは通用しないと思ったんです」
初めて、目の前にあるつらいことから逃げた。その気持ちを引きずり、成績も上がらない。野球部を辞めた挫折は、大きな心の傷になった。もう二度と逃げない。澤田はこれを後にも貫くことになる。
1年浪人して上智大学理工学部に入学。ここで出合ったのが、アメリカンフットボールだった。役割分担があり、攻守によって選手が激しく入れ替わる頭脳プレーのスポーツ。しかし、澤田が所属していた時代は、メンバーが少なく、キックオフから終了まで、ずっと出っぱなしということも珍しくなかった。戦略は立てるものの、実践どころではない。
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