父親の葬儀で知った「人は何のために働くのか」 20年前の辞表がつないだファミマ社長就任

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「僕の力不足もありました。でも、流通業界でトップになる、面白い会社をつくるという夢は、伊藤忠ではできないと思ったんです」

10年待てばできる、という慰留にも、澤田はなびかなかった。1997年4月、澤田は退職。伊藤忠がファミリーマートの筆頭株主となり、小売業に本格参入するのは、翌1998年2月のことだった。

決定権のない社長はダサい

伊藤忠を退職後、登録した人材会社から紹介されたのが、山口県宇部市に本社のある小さな会社だった。売上高は約400億円、営業利益は20億円ほど。後に日本の流通業を席巻することになるファーストリテイリングである。初めて会った柳井正という経営者に、澤田は圧倒された。

「日本の流通市場は巨大なのに、科学的経営ができていない……。セブン-イレブンのプロジェクトで勉強してきたことを語ると、伊藤忠のお偉方は全然関心を示してくれなかったのに、柳井さんは『澤田さん、そのとおりだ!』と全部、相づちを打ってくれて」

店頭に立つことを希望するも2カ月で経営企画室長に。さらに2カ月後には商品本部長を兼任。その2カ月後には役員を命ぜられた。入社6カ月で給料は倍に。さらに1年後に副社長。入社1年半でナンバー2になってしまう。

「ありえない。でも、こういうことをやってしまうところが、柳井さんの強さなんです」

副社長になった年、澤田が仕掛けたのがフリースキャンペーンだった。ユニクロ原宿店には長蛇の列ができ、空前のフリースブームが起こる。澤田が在職した5年で、売上高は10倍の4000億円になった。柳井からは「社長をやれ」と言われた。しかし、澤田は受けなかった。

「オーナーである柳井さんが会長として君臨する会社で、社長をやる意味がわからなかった。決定権のない社長というのは、ダサいじゃないですか(笑)。それは僕のやりたいことではなかった」

ファーストリテイリングを去った澤田には、多くの会社から声がかかった。その数、40社以上。巨額の報酬のオファーもあった。しかし、澤田は受けなかった。

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