父親の葬儀で知った「人は何のために働くのか」 20年前の辞表がつないだファミマ社長就任

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「柳井さんから社長をやってくれ、と言われて断っているわけですよ。雇われて社長をやる、という選択肢はありませんでした。意地でも雇われてやるもんか、と(笑)」

亡くなったときにこそ、人は評価される

そして澤田が立ち上げたのが、企業再生ファンドだった。決めていたのは、自分のお金も入れること。そうすることで、覚悟もできる。ファーストリテイリングで手にしたお金をすべて入れて(実は家族にも内緒だったらしい)、会社をつくった。これが、キアコン。澤田のモットーである「気合いと根性」が名前の由来の会社だ。

創業当時、社会を騒がせていたのが、過剰債務に苦しむダイエー問題だった。澤田は支援企業選定に申し込んだ。1次選考では100社を超える企業が手を挙げた。2次選考に残ったのは3社。丸紅、イオン、そしてキアコンだった。無名の会社が選考に残ったことで、日本経済新聞の1面に澤田の名前が出ることになる。

だが、キアコンは選ばれなかった。実は澤田はこのとき、ホッとしていた。澤田が求めていたのは、ダイエーをいい会社にしたい、という思いだった。ダイエー社員と一緒に汗をかきたいと思っていたのだ。

「でも、ファンドというのは、僕がお金を預かって、それを元手に投資をするビジネスなんです。ダイエーを数百億円で買ったら、それを1000億円、2000億円、3000億円に膨らまさないといけない。ずっとお金と向き合わないといけないんです」

ファンドの意味をよく理解できていなかった。最後は勝ちたくない、とさえ思っていた。このとき、ダイエーのための再生計画を懸命につくっていた澤田を、間近で見ていたリーガルアドバイザーの弁護士、瓜生健太郎の言葉が、澤田は忘れられない。

「澤田さんはお金のために働く人じゃない。澤田さんは、人のために働く人であるべきだ」

澤田は数百億円をそのままきれいに投資家に返し、ファンドと決別した。自分がやりたい仕事を改めて考え、人のお金を使わないで再生のお手伝いをする会社が浮かんだ。こうして2005年、リヴァンプを創業する。

小売りや流通を中心に、30を超える会社の企業支援を手がけた。そして設立から10年。「小売業をやらなければいけない」と社長に直訴してから実に20年。驚くべき話が澤田のもとにやってきた。伊藤忠グループの新生ファミリーマートの社長をやってほしい、と。

「オレが言っていたことが20年経ってようやくわかったか!と思いましたよね(笑)。でも、冗談抜きに古巣から声がかかったことはうれしかった。雇われじゃないか、と思われるかもしれませんけど、これは特別です。伊藤忠からの話じゃなかったら、絶対に受けていない。本当に天命だと感じてオファーをお受けしたんです」

澤田は27歳で父親を亡くしている。まだ59歳。教育者だった。好きだった山歩き中の転落死だった。

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