父親の葬儀で知った「人は何のために働くのか」 20年前の辞表がつないだファミマ社長就任
ここで培われたのが、澤田の好きな言葉で、後に自分の会社の由来にもなる「気合いと根性」である。理屈ではなく、とにかく走った。アメフト漬けの日々で最後はキャプテンも務めた。そして、アメフト部のOBの支援もあって、伊藤忠商事に入社する。
誰のために仕事をしているか
伊藤忠での配属は、化学品部門。1992年、転機は入社12年目の1992年。セブン-イレブンの母体、アメリカのサウスランド・コーポレーションの買収案件をまとめ、再生させるというビッグプロジェクトに抜擢されたのだ。そしてこの経験が、澤田の運命を変えた。
まずは日本のセブン-イレブンの店舗で、小売業がどんなものなのかを教わった。衝撃的だったのは、イトーヨーカ堂の創業者、伊藤雅俊やセブン-イレブン・ジャパンの生みの親、鈴木敏文の現場に対する強烈な思い入れだった。
「そんなに偉い人が、現場に行って従業員に細かく話を聞いてメモをしているわけです。お客さまは喜んでいるか。現場のための仕事になっているか。従業員、お客さまに学ぶ姿勢が徹底していた」
ショックだった。伊藤や鈴木から見えてきたのは、誰のために仕事をしているか、だった。
「自分は違った。自分のためにずっと仕事をしていたんです。右から左に、言ってみれば仲介するだけです。そんななかで、会長と社長自らが、お客さまや現場のために自ら汗をかく姿を見た。これは本当に衝撃でした」
顧客ニーズへの対応の素早さにも驚かされた。午前中に本部から指示が出たら、昼頃には売り場がもう変わっていた。
「お客さまに満足していただく。働く人に満足してもらう。このバリューをつくったら、いろんなことができる。川下から川上にも上がっていける。それを確信しました。伊藤忠がやるべきは、絶対に小売りビジネスだ、と」
そして1995年、当時の室伏稔社長に手紙を書くのである。なんと、社長に直訴したのだ。しかも社長は関心を持ち、澤田は具体的な戦略レポートを書く。
専門部隊の立ち上げ準備に動き、流通業界や小売業界のトップたちにも会いに出かけ、話を聞いた。だが、最終的には時期尚早という判断となった。社長への手紙から1年半。澤田はチームを解散し、会社を辞める決意をする。
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