「つい昨日まで学生だった君たちは、これまで、気の合う仲間とだけ付き合ってきたはずだ」
「しかし、社会人になったら、そうはいかない。もう子どもの付き合いとは訣別せねばならない」
「社会人になった以上、ウマの合わない人間とも協力しなければならないし、嫌いな人間にアタマを下げる場面も出てくる。それが大人になるということだ」
「そこで、社会人としての人間関係を形成する第一歩として、この研修では、好き嫌いや相性とは関係なく、機械的に振り分けられたグループ内のメンバー同士で、強制的に関係を構築してもらう」
「君たちが学生時代に友だちとやりとりしていた方法だと、お互い、イヤなことは言わず、なるべく対立せず、気まずくならないように気を配ってきたはずだ」
「気を遣って付き合うのも悪いことではないが、そんな付き合い方では、親友を作るのに10年かかる」
「君たちが会社の同僚として共に闘える仲間を作ることを、われわれは10年も待っていられない」
「だから、この研修では、思い切りお互いに言いたいことを言い合ってもらう」
「時には喧嘩になるかもしれない。お互いにプライドを傷付け合うことになるかもしれない」
「だが、そうしないと、本当の友だちはできない。人間が本当に打ち解け合うためには、殻を破らなければならない。自分を守っているプライドやバリアを壊すところから出発してくれ。つらい思いをすることもあるだろうが、必ずプラスになるはずだ」
なかなか感動的な演説だった。
私はムッとしたが同期の1人は既に会社側に
が、私は、感動しなかった。むしろ、ムッとした。
「要するに、オレらにバトル・ロイヤルみたいなことをやらせて見物しようというわけだ」
「っていうか、これ、屈服しろってことだよな」
私は、隣にいた男にそう言った。
「……まずは素直に話を聞いてみようぜ」
彼は、既に会社側の人間になっていた。
研修はさんざんだった。
私たちは、会社側が提示した課題について徹夜で議論をさせられた。全員一致で結論が出るまで、1人も眠ってはならないというその議論と並行して、われわれは、1人ひとりについて、互いにその欠点と長所を直接に指摘し合うことを求められた。
議論は紛糾し、論争は過熱し、われわれのプライドは、彼らの目論見(もくろみ)通り、大いに傷つけられた。
もっとも、さきほど「研修はさんざんだった」と言った中の「さんざん」は、「私にとって」ということで、中には、研修を歓迎している社員もいた。実際のところ成果に感動している組の人間がいくらもいたわけで、どちらかといえば、そっちの方が多数派だったかもしれない。つまり、精神的にキツい試練を共にくぐりぬけたことで、仲間意識が高まったつもりでいる同期社員が大勢いたわけなのだ。