テリー伊藤は、ここまで徹底している! 「批判される男」に学ぶ4つの仕事術
ある政治家からテリーさんは「権力官庁の息の根を止めた」と評されたという。「大蔵省の権威は『ノーパンしゃぶしゃぶ』で消えた……」と。テリーさんは、「今いちばんよくないのは頭のいいことだ」とまでいうが、自身は頭がいい。きっと、究極の俗物を自らが演じ、対象物すらも俗に塗り替えてしまう。
「蛇を400匹集めて蛇風呂を作れ」とADに指示を出したかと思えば、政治家に突撃インタビューを行い、番組会議に参加して経済問題を語ったかと思えば、デート指南を語る。官僚論と恋愛論が、同じ人物から出てくるのは信じられないほどだ。しかし、キャバクラ嬢の取材も、選挙特番の党首インタビューも、大衆の視点でやってしまうのがすごさなのだろう。
筆者は意識して抗っているが、ビジネスパーソンは会社に属すと、同じ価値観をもつ似たもの同士でつるむことが大半になる。そして加齢とともに、かつての趣味や嗜好を忘れてしまう。また、MBA(経営学修士号)や学習などによって高度化してしまい、一般大衆が何を求めているのかわからなくなる。その意味からも、俗物の一面を持つ重要さを強調しておきたい。
④ すべてに執着しない
「以前、テリーさんが演出した『浅草橋ヤング洋品店』の企画で、ホームレスをコーディネートして生まれ変わらせる『ヒッピーをヤッピーに』って企画あったでしょう。あれには衝撃を受けました」とご本人に伝えたところ、こんな反応だった。
「あーでも、昔のことだからね。今やってもつまんないよ」と笑われたのだ。
テリーさんの特徴として、あきれるほど昔の仕事に執着しない。よく会社では「俺の若い頃は」自慢をする上司であふれているが、テリーさんの口からかつての仕事について語られるケースはほとんどない。過去に対する思い入れがまったくなく、興味すらない様子は清々しいほどだ。
過去を自慢しないゆえに、過去の作品を録画せず、どんなに大ヒット番組でもすぐに飽きてしまうという。もしかすると、テレビというメディア自体が、その瞬間のみの勝負がゆえに、テリーさんを刹那的にさせたのかもしれない。
とにかく過去の話を振っても、「よく知ってるね。でも、昔のことだからなあ」というケースが大半だ。実際に過去のインタビュー記事を読んでも、インタビュアーが人気番組の秘訣を訊くのに、よくテリーさんは「飽きちゃった」と語っている。「あれは過去の仕事であって、自分のなかでは終わった仕事だ」とも。
過去の成功体験に引きずられるのではなく、つねに新たな思考で商品を創ろうとする姿勢に見習うべきところは多い。象徴的なのは、「引き出し」という言葉を忌避していたことだ。なぜならば、過去の経験や知見を指すからだという。引き出しが多いとは、過去に依存していることに等しい。昨日のことはどうでもいい、と考え、つねに刹那だけを見る。
浅田彰さんは、人間を積分的(パラノ)と微分的(スキゾ)に分けた。前者は過去を背負ってその延長上にしか生きられない人。後者はその一瞬一瞬を軽やかに生きていく人だ。とはいえ、多かれ少なかれ人間は過去の堆積で生きている。けっきょくは程度問題なのだろう。
もちろん、テリーさんが活躍しているのは、過去の実績があるからだし、発注側も安心して仕事を振ることができる。ただし、自身としては克己を忘れず、安住しないチャレンジ精神を持ち続けている。
ビジネスパーソンにとっても過去の成功体験は、もしかするとたまたまかもしれないし、その時代ゆえだったかもしれない。
筆者は「その不謹慎さに嫌悪感をおぼえる人がいるとしても」と書いた。テリーさんの発言はしばしネットで炎上することがある。言論の自由があるから、名誉毀損にならぬ限り、ネットのコメントは認められるものだろう。批判するくらい嫌ならそもそもテレビを見なきゃいいとも思えるが、そもそもテリーさんは批判を見てもいないし、気にする様子もない。一人ひとりに、反論することもない。
足かけ9年の『スッキリ!!』を卒業して、テリーさんが今後、どのような展開を目論んでいるかは、この才人のみぞ知る。良くも悪くも注目が注がれていくだろう。
某月刊誌でテリーさんの連載最終回にとても印象的な文章があったので、最後にこれを引用したい。
「もしわたしがダメになったら笑ってくれ。道ばたで倒れていたら助けなくていい。どうか笑ってくれ。街でわたしを見たら気軽に声をかけてほしい。微笑んできみを迎えようじゃないか。」(「Checkmate」1999年12月号)
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