テリー伊藤は、ここまで徹底している! 「批判される男」に学ぶ4つの仕事術
かつて「あの料理人いいね」という話が出た翌日には、その料理人をスタジオに連れてきたこともあるという。また、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は、もともとコント番組になる予定だった。しかし、あるときひらめきで番組の方向転換を思いつき、そこから番組コンセプト自体を関係者に納得させた。1000万円もかけたセットを使わないと決め撤去させたり、番組の告知とまったく異なる内容となりお詫びのテロップを入れたりしたこともあった。
「謝罪文」と「お詫び状」と「始末書」を持ち歩く
当時のスタッフは大変だったようだが、本人は動き回り考え続け、そして行動に移し続けていた。そこには、「周囲が苦労しようが、すべては視聴者に面白い番組を作る」という周囲には冷たい、しかし明確な目的思考がある。
「謝罪文」と「お詫び状」と「始末書」。それぞれのサンプルを持ち歩いていたテリーさんは、行動力の塊だった。通常であれば、加齢とともに、安住しようとするのが人間の常だ。しかしテリーさんは、それではダメだと自らを克己し続けた。
1968年、テリーさんは日大闘争でデモ隊の先頭にいたために、後方から飛んできた投石によって左目の視力がほとんど失われた。筆者にはその復讐として仕事に打ち込んでいるように思えてならない。テリーさんは、興味深いコメントを残している。
「団塊の世代は結局のところ、天下を盗っていない。たとえば、団塊の世代は誰も総理大臣になっていない。上の世代の小泉さんが首相を辞めたと思ったら、次は下の世代の安倍さんになってしまった。団塊の世代は飛ばされてしまったのだ」(「週刊実話」2007年8月2日号)」
卑屈になるのではなく、どうせ生きているなら、と、コンプレックスを行動へのバネにして生きたい。世代の喪失感を言い訳につかうのではなく、行動力の源泉に変えていけばいい。
テリーさんはサラリーマン時代に、「給料の相当以上を稼いだら飲み屋などのツケを会社にまわす」という交渉をし、承諾させたという。そしてすぐさま達成した。行動力を支えるインセンティブ設計までをやってのけたのだ。
② 誰もが目をそむける人にスポットをあてた
テリーさんは番組『びっくり日本新記録』(読売テレビ)からずっと素人を番組に参加させている。かつて上岡龍太郎さんは「プロよりも素人のほうが面白いに決まっている」と述べた。
素人が何年も考えたネタを1つだけ披露したほうが、プロに勝つ。プロはつねに70点をとらねばならないが、素人は100点を1回だけとって消えればいいのだ。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の人気企画『お笑い甲子園』も『ダンス甲子園』も、素人の輝く姿が主題だった。
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