テリー伊藤は、ここまで徹底している! 「批判される男」に学ぶ4つの仕事術
テリーさんは1949(昭和24)年12月に生まれ、大学卒業後に寿司屋修行やアパレル会社での就業経験を経てテレビ制作会社のIVSテレビ制作に入社した。みんながアイデアを出せず困っていた企画会議のときに「自分だけはポンポン面白いことを思いついちゃう」というから相当な適職だったのだろう。
今の30~40代の世代がかつて夢中になって見ていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『ねるとん紅鯨団』『浅草橋ヤング洋品店』『とんねるずの生でダラダラいかせて』などはテリーさんがプロデュースした番組だ。
人々が彼の企画に抱腹絶倒した
その過程で、メチャクチャな(もちろんこれは褒め言葉だが)番組を多く世に出した。冒頭で書いたのは、東京12チャンネル(現テレビ東京)の『いじわる大挑戦』で芸人のたこ八郎さんに輸血した“事件”だった。そのほかで有名なのは、たけし軍団に交番の前を唐草模様の大きな風呂敷をかつがせて何往復もさせたり、共産党の上田耕一郎さんにダチョウ倶楽部と漫才をさせたり。
放送できなかったものとしては、芸人を簀巻き(すまき)にして東京湾に放り投げて脱出できるか試みたもの――まあこのへんで、やめておこう。ある意味では悪趣味の、ある意味では倫理観を超越したコンセプトに、人々は抱腹絶倒した。
テリーさんは、かといって「テレビから制約を排除せよ」という主張はしなかった。むしろ、だいぶ昔から「ゴールデンタイムでオンエアする番組である以上、当然規制はつきものだし、それがいやなら放送禁止ビデオでも作ってればいいと思う(雑誌「SPA!」1992年6月24日号)」というリアリストであったし、「明日の仕事場をもらわないと先に進まないわけだから、そこで不満を言ってたら第一線ぽくないよね。その中でいい作品を作っていけば必然的に発言力が強くなってくる(雑誌「宝島」1992年10月9日号)」という仕事人でもあった。
アイデアマンで“それやっちゃう?”を形にし、さらに現実主義者で仕事人。「面白くない人に、面白い本は書けない」と至言があるけれど、その意味で、テリーさんはすごく面白い人なのだ。もちろんその不謹慎さに嫌悪感をおぼえる人がいるとしても――だ。そんなテリーさんのどこにビジネスパーソンが学ぶべきところがあるのか。徹底している4つのポイントを挙げたい。
「動ける限りなんでもやる」
① とにかく動く
テリーさんの仕事ぶりを見ていると驚くのが、誰よりも現場を歩き回っていることだ。スタジオに子どもほど年が離れている文化人がやってきても、どんどん教えを請う。かと思えば、スタジオ見学に来ていた高校生と握手をしてテレビのよさを語り、スタッフのもとに向かっては視聴率グラフを見ながら対策を練る。そこには、「自分が動いても無駄なことはハナからやらない」といった、このところ流行している効率主義とは真逆の価値観がある。それは、動ける限りなんでもやろう、といういい意味での非効率主義だ。
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