「スマホ断ちした高校生たち」に実際に起きたこと ニューヨークで始まった「ラッダイト運動」

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何人かのメンバーが、少し時間をとって、ラッダイト運動の成果を褒めたたえた。

「私は友達でいたい人を絞り込んだ。今では、こちらから頑張らないと友達関係を維持できない。私がアイフォーンを手放したら、『君のテキストメッセージは緑色だから、もう話したくない』って言ってきた人もいた。その時、この人は本当の友達ではなかったのだなとはっきりわかった」。ブラック・フラッグのTシャツを着て小型ナイフで木工彫刻をしていた高校生のジェムソン・バトラーはそう言った。

「ソーシャルメディアに何かを投稿しても、『いいね』が十分に集まらないと自分に自信が持てなくなる。こんなことは、誰にも起こるべきじゃない」と話すのは、W・E・B・ディボイスの『黒人のたましい』を手にしていたヴィー・デ・ラ・クルスだ。「このクラブにいると、私たちは誰しも心配事を抱えているけど、それで大丈夫、なんとかなるんだ、ということを思い出させてくれる」。

きっかけはロックダウン中のSNS疲れ

この集会の数日前の午後3時過ぎ、下校時間となったマロー高校の校舎から通りに出てくる生徒の多くはスマートフォンを見つめていたが、ラッダイトクラブの創設者である17歳のローガン・レーンは違った。

マロー高校から一区画離れたところにある喫茶店でインタビューに応じたローガンは、だぶだぶのコーデュロイのジャケットを着て、シンガーのミシンを使って自分で縫ったキルトのジーンズを履いていた。

「メンバー集めには苦労している。だけど、そこはあまり気にしていない。メンバーは特別な理想でつながっているから」とローガン。「でも、私はずっとラッダイト運動をしていたわけではない」。

すべてはロックダウン期間中に始まったという。そのころ、彼女はソーシャルメディアの利用に問題を抱えるようになっていた。

「完全に消費されきっていた。いい写真が撮れたら投稿せずにはいられなかった。ネット上では何も気にしていないふりをしていたけど、本当は気にしていて(投稿は)全部見ていた」とローガンは言う。

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