リンリンと、どこから迷い込んだのか、鈴虫の鳴き声が聞こえてきた。
その鳴き声に誘われるように、
「母が……」
と、幸雄はつぶやくと、数が差し出すおつりを受け取りながら、
「あなたにも幸せになってほしいと……、言ってました」
と告げ、この喫茶店を後にした。
ああ おもしろい 虫のこえ
この言葉は、絹代から聞いたわけではなかった。だが、数の境遇を考えれば、絹代が数に対してどういう思いを伝えたかったのか、幸雄には容易に想像することができた。
カランコロン。
幸雄が去って、再び店内は数とワンピースの女の二人きりとなった。カウベルの音は静かに鳴り響いている。数は、ダスターを手に取るとカウンターの上を拭き始めた。
秋の夜長を鳴き通す
ああ おもしろい 虫のこえ
数が小さな声で口ずさむ。それに応えるように鈴虫がリンリンと鳴いている。
秋の夜は静かに、そしてゆっくりと更けていった……。
(1月8日配信のシリーズ第3作『思い出が消えないうちに』の第2話『「幸せか?」と聞けなかった芸人の話』に続く)
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