「ハイヒールを履いた僧侶」の正々堂々とした人生 西村宏堂さん「ユニークな自分として生きていく」

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誰にも心を許せなかった人生の暗黒期

暗黒期のはじまりは、子供の頃にさかのぼる。1989年、東京都のお寺に生まれた西村さんは、子供の頃から美しいものに惹かれた。外を駆け回るよりもディズニープリンセスやセーラームーンに憧れ、パンツよりもヒラヒラと裾が躍るワンピースを着るのが好きだった。おしゃれしてお姫様ごっこをするのが大好きで、街では女の子に間違われることも。

しかし次第に「男の子のくせに」「男の子だから」などという、周囲の大人の何気ない言葉が次第に気になるように。

幼稚園の頃はこうちゃんと呼ばれていたのに、小学校に入ってからは、西村くんと呼ばれ、男子として扱われるようになった。水泳の授業で海水パンツを履くことを強制されるのが嫌で恥ずかしかったり、仲の良い女の子の友達に恋愛感情のようなものを抱いていると勘違いされてしまったりと、日々、違和感は増えていった。

(撮影:今井康一)

「学校でも年齢を重ねるほど、男として、女としてという周囲の区別は明確になっていって。その型に当てはまらない私は、『女の子っぽい』とか『男らしくない』などとバカにされたりしました。本来の私を表現しても、この社会では受け入れられないと実感して怖くなりました。男性を好きな自分は恥ずかしい存在だし、男らしくいられない自分は劣等な存在なんだなと」

高校生になると、西村さんは完全に心を封鎖。高校3年間は、「人生のどん底。心を許せる友達は一人もできなかった」と述懐する。

「進学校に入ったものの、あまり勉強もできず、人間関係にも行き詰まり。同性愛者だと気づかれるのが怖くて誰にも心を開けない。惨めな人だと思われるのも怖くて、お昼休みは用事があるふりをして教室を去り、日々、一人で校内を歩き回っていました」

孤独な日々の中、活路をインターネットに求めた。中学時代に家族旅行で行ったハワイに憧れ、英会話を熱心に学んでいた西村さんは、世界中の人が集まるゲイチャットで友達を作り英語で会話するようになったのだ。

オランダ、プエルトリコ、ポルトガル、ロシア、ウルグアイなどさまざまな国で似たような境遇をもつ人々とチャットで悩みや思いを語り合って、心の渇きを満たした。

世界に目を向ければ、心が通う人もいる。海外への憧れはいっそう強まり、高校卒業を待ってアメリカ・ボストンの短大へと留学を決めた。自由の国、アメリカに行けば何かが変わると信じていたのだ。

しかし、現実はまったく違った。

「アメリカでもなかなか友達はできず、アジア人であることを理由に人種差別的な言葉の暴力を受けたことも。ここでも自分は受け入れられないのかといじけて再び心が折れました」

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