「31歳NHK記者の死」で見過ごされた3回のチャンス 彼女を追い詰めたのは長時間労働だけではない
――7月23日未明に未和さんが音信不通になり、25日に婚約者によって発見されるまで2日間の空白があります。その間、キャップ以下の同僚たちは異変に気がつかなかったのでしょうか。
守さん:NHKがこの「空白の2日間」の職場の対応をどう検証したのかを知りたい。職場の同僚たちが未和の異変に気づくチャンスは、少なくとも3回はありました。
1回目が7月24日の面談です。未和は7月23日の夜、職場の送別会に参加しており、その後、婚約者と連絡を取り合ったのを最後に音信不通になりました。
翌7月24日は都庁の局長、次長に異動のあいさつに行くことになっており、そのことを前日に先輩の男性記者にメールで伝えています。(編注:佐戸未和さんは当時、横浜放送局に異動し神奈川県庁を担当することが決まっていた)。
ところが、局長や次長へのあいさつの場に未和は現れていない。そのことを不審には思わなかったのか。私が未和の先輩記者に電話で確認したところ「よく覚えていない」と返され、さらに「今後は直接ではなく、NHKを通してくれ」と言ってきました。
2回目のチャンスは、その日の夜に開催された首都圏センター選挙班の参院選取材の打ち上げです。そこにも未和は出席していない。
恵美子さん:未和はこういう会合に積極的に参加していましたし、飲み会なども企画して人に参加を呼びかけるような子でした。その場に未和が来ていないことに誰も疑問を持たなかったのでしょうか。
守さん:未和の異変に気づく3回目のチャンスは、音信が途絶えた翌25日。婚約者が未和を心配して都庁クラブに電話をかけているんです。
電話を受けたのは未和から都庁幹部への離任あいさつ予定のメールを受けた先輩記者ですが、彼は「携帯の電源が切れているんじゃないですか?」と、まともに取り合わず、未和と連絡がつかなくなっていることを上司や他の同僚にも伝えていませんでした。
なぜ一緒に働いている職場の誰も、未和の消息を確認しようとしなかったのか。なぜ、すぐに動いてくれなかったのか。疑問は拭えません。
調査報告書が存在しない
――こうした事実は、いずれもNHKが公表した後に出てきたのですね。
守さん:未和の過労死の公表後、それまで面識がなかった多くのNHK職員やOBの方々から連絡や訪問を受けるようになり、未和の過労死にまつわる局内のさまざまな話を聞くようになりました。
フリーの編集マンとしてNHKで長く働いている尾崎孝史さんが1年半以上を費やして未和と接点のあったNHK内外の100人以上の関係者から聞き取りをしています。尾崎さんの著書『未和 NHK記者はなぜ過労死したのか』には、驚く証言がいくつも載っています。
未和の過労死について調査報告書が存在しないという事実を教えてくれたのは、NHKを辞めたベテラン記者でした。
私たちはNHKに「なぜ調査報告書を作らなかったのか」と問い質しました。すると「過労死が起こったのは組織全体の問題であり、個別の調査より組織・制度を変えることに取り組もうという方向に一気にいってしまった」というのです。
納得のいく回答ではありません。