過労死発表後、実現に4年半かかった”約束”
東京の首都圏放送センターに勤務していた佐戸未和記者と知人が連絡を取れなくなったのは、参院選の取材を終えた3日後。不審に思い駆けつけてきた婚約者によって自宅で遺体となって発見された。
翌年、渋谷労基署が過労死と認定し、NHKは臨検を受けた。しかし、職員の多くはNHKで過労死が起きていたという事実を知らされず、遺族の声を受けNHKが外部公表したのは4年後のことだった。
こうした経緯について昨年7月、筆者は東洋経済オンラインで映画『未和 NHK記者の死が問いかけるもの』と記事を5回に分けて連載した。
過労死公表直後の2017年の職員集会で、NHK報道局の幹部はこう語っていた。
「場合によっては両親にまた来ていただいて、話をしたりする機会を作ったりすることも必要じゃないかと思っています」(連載第4回:『NHK幹部が語った「31歳記者過労死」非公表の裏側』参照)
2017年に過労死が公表される直前、両親は一度NHKに招かれ、幹部や管理職を前に話をしたことがある。その頃、実家を弔問したNHKの担当者は、新人職員の研修などの機会に再び両親に話をしてほしいと伝えていた。娘のことを広く職員に伝えられるならと、両親は実現に期待を抱いていたものの、その約束は果たされないまま、公表からさらに4年以上が過ぎた。
そうした中、今なぜこのタイミングでNHK職員への講演が実現したのか。
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