過労死した31歳NHK記者の遺族が納得しない理由 「調査報告書は存在しない」の衝撃に遺族は…

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両親は昨年来、当時NHKが行った調査内容の開示を求めてきた。娘の死の背景に何があったのか詳細を知りたいこと、そもそも「生きて救えたのではないか」との思いがあるからだ。

昨年10月、遺族担当の幹部であるNHK首都圏局の局長が実家を訪ねて、「調査報告書はなかった」、つまりまとまった資料が存在しないと回答した。当時調査はされたのだが、メモ程度のものはあっても、きちんとまとまった調査報告書として残っていないという。

そして、私たちにできることは両親に職員の前で話してもらうことだと考えた、と突然持ちかけた。父の守さんは、「やっと実現するのか」と肯定的に受け止めた。その一方、報告書不在の連絡と抱き合わせで、今回の講演が提案されたことに複雑な思いを抱いたという。

62人のNHK管理職と向き合った遺族

2月17日午後1時前、雲が広がり気温7度の風が吹く東京渋谷区。立替工事中のNHK放送センター、正面玄関から遺族は入った。入館ゲートを通ったのは順に、佐戸記者の父、守さん(70)、母の恵美子さん(72)、妹のめぐみさん(37)だった。

東京・渋谷区にあるNHK放送センター。 佐戸記者は右側遠方にある東京都庁のNHK都庁クラブ在籍中に亡くなった。 勉強会が行われたのは、左手に見えるNHKの西館(写真:2月17日、筆者撮影)

出迎えた職員に案内されたのは西館4階にある474会議室だった。NHKはここをメイン会場として首都圏局がある北館、総務機能などがある東館、本館に分散会場を設けオンラインで結んだ。参加者は首都圏局の管理職62名で、474会議室にはそのうち39名がいた。

午後1時10分、首都圏局長が開会挨拶をした。

「これから過労死の教訓を今につなげるための勉強会を実施します。首都圏局の前身、首都圏放送センターで記者として働いていた佐戸未和さんは都庁の担当として、都議会選挙、参議院選挙の報道に携わり、投開票日に当確作業を行った3日後、自宅で亡くなりました」

NHKとしての受け止めについては以下のように述べた。

「過労死の認定後、報道局で働き方プロジェクトが設置され、記者だけでなくカメラマンや編集、ディレクターの働き方の見直しが進みました。私自身も労担や専任部長の立場で働き方改革に携わりましたが、長時間労働を当たり前にしてはいけないという意識が急速に浸透したことを覚えています」

「社会の木鐸であるNHKで働く職員、管理職の一人として、佐戸未和さんのご家族がどんな思いで過ごしていらっしゃったのかお聞きし、1人ひとりが何をできるか、考える時間としたいと思います」

「時が経つほどになくしたものの大きさに愕然となる」

母の恵美子さんがマイクを握った。娘の佐戸未和記者が当時愛用していた黒色のスーツを着て、職員たちと向き合った。

母の佐戸恵美子さん(写真:筆者撮影)

「未和という名前は未来に平和を、との願いをこめてつけました。長崎で生まれた未和はすくすくと順調に育ちました。『お母さんと一緒』が長崎から放映されるとの募集があり、そこに出させてもらったのが最初のNHKとの縁でした」

NHKに採用された時には親子で大喜びするなど、NHKに強い愛着を持ってきたが、その9年後、恵美子さんは娘の死という悲痛な現実を突きつけられることになった。

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