餃子で復活「東スポ」に学ぶ"必勝ブランディング" 崖っぷちから「東スポブランド」を確立できた訳

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東スポ餃子
食品通販サイト「ギョームー」で販売されている「東スポ餃子」。ウリであるニンニクは青森県産にこだわっている(写真:「ギョームー」サイトより)
「日付以外すべて誤報」と揶揄されつつも、愛されてきた新聞「東京スポーツ」こと「東スポ」。昨今の新聞・出版不況のあおりを受け、100人規模の早期退職者を募るなど、崖っぷちに立たされていた。しかし2021年、突如「東スポ餃子」を売り出しヒット。その後も「東スポからあげ」や「東スポポテトチップス」などを発売し、ヒットを重ねている。そのポジションと愛すべきキャラクターを逆手に取った見事なブランディングで、“東スポブランド”を確立することに成功したのだ。
オールドメディアによる“果敢な挑戦”は、メディア界のみならず、ビジネスパーソンたちを勇気づけた。“東スポブランド”は、どのようにつくられていったのか、関係者が当時を振り返る。本記事は、岡田五知信氏の著書『起死回生 東スポ餃子の奇跡』より一部抜粋・編集してお届けする(前回『社員3分の1をリストラ「東スポ」が復活を遂げた訳』)。

「ヤフトピ」に取り上げられた途端、火がついた

「東スポ餃子」プロジェクトを裏から支えた仕掛け人である有限会社戸田商事の鈴木英弘副社長は、「負ける戦はしません」と明言する。

しかし、新事業にリスクは付いて回る。そもそも当初の投資資金はどのくらいの規模だったのだろうか? 鈴木副社長に尋ねてみた。

「通常、弊社の場合は新しい事業を始めるときには3カ月から半年、1年単位で販売計画を作ります。しかし、『東スポ餃子』に関しては、とにかくスピードを求められた。最終的に日本アクセスと取り引きさせていただくことになったのです。

このような大手商社は日本全国にある大手スーパーに営業をかけるわけです。そこで取り引きが決まれば、一気に何十〜何百もの店舗からオーダーが入り商品を納入しなければならない。

はじめは工場にも『これ以下の数では作れません』という最小ロット数で発注し、様子見といった状態だった。強しいてリスクと称するならこの場面でしょうね。

とにかく、オーダーが決まれば、何が何でも製造を間に合わせて、事前に決められた数を納品しなければならない。万が一にも約束をたがえれば二度と取り引きをしてもらえなくなってしまう。初取引ですからね」

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