【後編】大河の主役「徳川家康」先祖の波瀾万丈 家康の祖父「松平清康」までの一族の歴史を辿る
『三河物語』が信忠をボロクソに書いていることについて「次代の清康を讃えるため、その父信忠の無能をあえて強調している」との考察もあるが、著者の大久保忠教としても、信忠の悪口を書きたくて書いたわけではないだろう。
信忠に関する悪評が代々伝わっていたから、それを記したに過ぎないのではないか(その悪評が正当で真実か否かは別であるが)。「無能の当主もいた」と書くよりも「歴代当主、全て名君だった」と大久保も本当は書きたかったのだろう。
家康の祖父が当主の座に
『三河物語』には、松平家は「武辺」(武勇)・「念頃」(ねんごろ=心がこもっていること。家臣への思いやりある言葉かけなど)・「慈悲」の想いが当主に備わっていたからこそ、存続できた家だとある。だが、信忠にはそのどれもがないと記すのである。
少し可哀想なくらいの酷評だ。それはさておき、信忠が引退したことにより、松平清康が当主の座につく。彼こそ家康の祖父にあたる。家康の誕生が近づいてきている。
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