肩書きを重視するチームが「成果」を出せない理由 役職上がるとイスの形が変化、謎ルールの無意味

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チームリーダーと話しやすいのはサブリーダー、そして次の先輩社員であり、一番若手はリーダーと話すとなると、そこに割って入ることになる。そうすると、気軽に話す機会はどうしても失われやすいし、チームリーダーに話すせっかくのタイミングを見つけても、緊張してしまうことになる。

実際、僕の銀行員時代はどの部署に所属しても、大抵はこうした配置になっていた。今もこういう配置のオフィスは多いだろう。

経験からすると、机の配置だけではなく、椅子の形状も役職によって違ったりする。サブリーダーになると肘掛けがついたり、リーダーになるとさらに首のあたりまで背もたれがある椅子になったりする。人事異動で昇進すると、そのように椅子が変わる。

当時はそれを当たり前と捉えていたが、なぜ椅子の形でポジションを表現していたのか改めて考えると、意味があるようには思えない。

「えらい人が話すことは正しい」という暗黙の了解

こういった「ヒエラルキーが明確なチーム」は、会議の場でも発言の順番が決まっていることが多い。

最初にチームリーダーが話し、次にサブリーダーが話し、さらに次の先輩社員が話す。その後は年次順だ。「えらい人が話すことは正しい」という暗黙の了解があるので、反対意見も言えない。

一方、順番が進み、若い社員が話すときには、チームリーダーやベテラン社員が経験をベースに「指導する」場になっていく。これでは、言いたいことが言い合える場になるはずがない。

以前はそういう「ヒエラルキー」に従って仕事をするのが当然、という時代でもあったと思う。仕事には「正解」があり、それは経験を積めば手に入るものだったからだ。

経験を積んだベテランは「正解」を知っている。そして仕事のことはなんでも知っている。だから「管理職」につく。その「管理職」が話す言葉はすべて正しい。そういう社会だった。

高度経済成長時代の日本を知っている人はもう、この本を読んでいないかもしれない。しかしその頃の日本はこうだった。日本人が自動車を、冷蔵庫を、洗濯機を、クーラーを、カメラを、発明したわけではない。どこかの国の誰かが、「正解」となる製品を発明し、日本企業がその「正解」を改善していった。

その結果、高品質の製品を大量生産することに成功し、日本は高度経済成長を遂げた。日本はその「正解があるものを改善し、さらに高品質にし、低コストで製造する」というゲームに強かったので、飛躍的な経済成長を実現した。

そのゲームにおいては「正解」があり、それをひたすら「改善」することが求められたため、クリエイティブな見識よりも、「そのものを、よく知っている」ことが重要だった。そういう社会においては、個人の能力も、その人が持つ「個性」などは必要とされず、ものごとを「正確に早く」処理する能力が求められた。

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