すでに見たアメリカの政策は、標準的な経済学から見て明快である。しかし今回のコロナ対策を見てもわかるように、アメリカはワクチンの開発こそ世界の先端を行ったが、一方で犠牲者も世界一多かった。このことは先端的、または正当な政策だけで、損失が最小化できるとは限らないことを示している。
とはいえ、中国のゼロコロナ政策のように、犠牲者を最小に抑え、コロナと共存するという体制構築を拒否する強硬な政策は経済に対して大きな負荷をかけることもわかっている。この中国の対応は、供給制約に対する前向きな構造改革を回避し、犠牲者を抑えるという姿勢とも共通する。
残念ながら日本には果断に構造改革を実施するという勢いも、強権で現状維持を図るという力もないように見える。それならば、米中にない「第3の道」を選択できるのだろうか。
「社会的共通資本」という手がかり
1つの手がかりは、宇沢弘文が提起した「社会的共通資本」の概念である(『コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文』参照)。
社会的共通資本は、市場経済原理に任せないで社会的に管理される財・サービスの総称で、社会資本、自然資本、制度資本に大別されるが、これは先ほど述べたModern Supply Side Policyとほとんど共通するといえるだろう、宇沢は人的投資については明示的に述べていないが、制度資本の中で教育制度を強調していることから無関係とはいえない。
社会的共通資本とModern Supply Side Policyは、両政策が供給サイドの充実を通して、供給制約を少しでも緩和することに寄与するという点では共通している。しかし相違点もある。それはインフレがもたらす低所得者層の負担増だ。
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