「自分の経験談」が有効になる"たった一つの状況" 悲しんでいる人や怒っている人には逆効果
周りの人が本人以上に怒ると、怒っていた本人はむしろ冷静になるということがしばしばあるからです。
ただ、相手の怒りが客観的に考えて正当なものであればいいのですが、話を聞いていて「いや、それ、むしろアンタのほうが悪いんじゃ……」とか「そんなことで怒るなんて、さすがに沸点低すぎるだろ」と思うこともあるでしょうし、たとえその場限りであっても、同調することにためらいが生じるかもしれません。
また、相手が怒っているのが、個人でなく会社や政府などの大きな組織や、あなたが一生会うことのない他人であればいいのですが、場合によっては、あなたがお世話になっている人だったり、あなたの友だちだったりすることもあります。
そんなとき、一緒になって怒ったりすると、あなたが言ったことが、そのまま相手に筒抜けになる危険性もあります。
ときには同調しながらも、冷静さは失わない
このように、同調するのが難しいシチュエーションでは、「へえ、なるほど」「そんなことがあったんだ」と、極力自分自身の評価(「それはひどいね」など)を交えずに相槌を打つといいでしょう。
話を聞き相槌を打っただけでも、「あの人は私に味方してくれた」などと、相手から間違った情報が発信される危険性ももちろんありますが、実際に悪口を言ったりしていなければ、万が一の場合にも「いや、私は話を聞いただけです」と、良心の痛みを感じることなく、堂々と言うことができます。
ちなみに、誰か、もしくは何かに怒っている人が、事実を客観的にすべて話しているとは限りません。むしろ、自分の非に気づいていなかったり、自分に都合の悪いことをあえて言っていなかったりするケースのほうがはるかに多いでしょう。
ですから、話を聞き、ときには同調しながらも、常に冷静さを保ち、「この人が言っていることが、すべて事実とは限らない」という意識を持っておくことは大事です。
こうした冷静さは、実は話しやすい人になるうえで非常に重要だと思っています。
感情に振り回されがちな人は、その時々の波長や感情が一致すれば、話し相手にとっては心強い味方になります。
喜んでいる人がいれば全力で一緒に喜び、怒っている人がいれば一緒に怒り、悲しんでいる人がいれば一緒に悲しんでくれるでしょう。
でも、そのような人は、たとえばAさんとBさんが喧嘩をしているとき、今日はAさんの話を聞いて同情し、Aさんの味方をし、翌日はBさんの話を聞いて同情し、Bさんの味方をする……といったことがしばしばあります。
そうしたことが明らかになれば、人はなかなか、その人に安心して心を委ねることができなくなります。
気持ちや考え方のブレが少ないこと、さまざまな人の話をフラットに聞くことができることも、多くの人にとっての「話しやすい人」になるうえで必要な条件であるといえるかもしれません。