箱根で大失速「選手に2日後」同じ道を走らせた訳 竹石選手が原監督から学んだ挫折の向き合い方

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終了後、私は竹石にほかの選手とは違う話をしました。私は基本的には、競技の悔しさは競技でしか晴らせないと考えています。しかし、竹石や競技を続けない4年生にとって純粋な意味での「次」はありません。

ただし、陸上を辞めても人生は続きます。陸上の悔しさを100%晴らすことはできないかもしれませんが、この苦い経験は社会人の舞台できっと役に立つと、竹石には伝えました。

大一番で結果を出せなかったということを誰よりも痛感しているのは、彼自身のはずです。その原因は何だったのか、どうすればそれを防ぐことができるのか。それを考えるのは、これからの人生の大きな課題となるでしょう。

彼は卒業後テレビ局に就職することが決まっていました。インタビューをするにしても、彼の経験は人の気持ちを理解するうえで大きな財産となるでしょう。同じ場所で勝負する機会は二度と得られないとしても、次のステージで再び挑むことはできます。人生は最後に勝てばいいのです。「竹石の人生はここから始まる」。私は彼にそう伝えました。

「Yahoo!」のトップページに「竹石ブレーキ」

ここからは竹石さんに当時のことを振り返ってもらいました。

僕にとっての大きな挫折は、やはり3年生(2019年)と5年生(2021年)における、2回の箱根駅伝での失速です。

とくに3年生の箱根は、自分の人生の中でも本当に大きな意味を持っています。

実は、レース前日の夜、一睡もできませんでした。緊張から眠れなかったのではなく、それまでの調子のよさから「絶対いける。ヒーローになってやる」と思えたほどで、小学校の遠足じゃありませんが、変に高揚していたのかもしれません。興奮が高まるとともに脳が冴え渡り、気がついたら3時、4時……。さすがに「やばいな」と思いました。

結局、途中で脚がけいれんして失速、区間13位でチームに迷惑をかけてしまいました。 「やってしまった」とうなだれて帰りの車に乗り込み、携帯を開いたら、「Yahoo!」のトップページに「竹石ブレーキ」の文字が目に飛び込んできました。冗談抜きで死にたいくらい落ち込むと同時に、周りの目が気になって外にも出たくないような状態になりました。

実際、3カ月くらいは外食もあまり行けず、新型コロナ拡大の前でしたが、マスクなしでは外出することができなくなりました。今考えると、誰もが箱根駅伝を見ているわけではないと思うのですが、そのときは全国民から後ろ指を指される気分でした。

でも、原監督は箱根駅伝が終わった2、3日後に「明日、もう1回(箱根の)山に登るから」と言うんです。「え? また走るの?」と正直、かなり驚きました。走ってみたらやはりいい記録は出ません。

何を言われるだろうかとボロボロの気持ちでいたら、監督は「今がいちばん下だから、あとは上がっていくだけだ」と。それを聞いて、 監督は本当にすごいなと思いました。失敗しても、すぐに次に意識を向けさせることを考えているんです。

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