次の日、早い時間にバイト先に呼び出された。当然、私は店長から大目玉を食らった。そしてその日をもってクビとすること、壊れたタイムカード打刻機の弁償代を今月のバイト代からそっくり引いておくこと、それによって過ちを赦すことを、最後に告げられた。私は深々と謝罪をし、半年間勤めたファミレスをあとにした。
その後に待っていたのは、無限とも思われる「暇」な放課後の時間だった。
帰宅部だった私は、バイト先をクビになったことで、放課後の時間を潰す術を失ってしまった。いまさら、このタイミングでなにかの部活動に入部することは気恥ずかしく、また「自分はタイムカード打刻機に水を注ぐような人間なのである」という労働者失格の烙印を自らに刻んでしまったため、新たなバイトを始めるような勇気もすぐには湧かなかった。こうして私は、高校での学業が終わると、毎日「なにもない」という時間と向き合わざるを得なくなってしまった。
それは地獄であった
時間を持て余した帰宅部がやれることなど、たかが知れている。
乗っている自転車の変な部分から水が漏れてきて薄く驚き、「ここにあった大きなユニクロ、ブックオフになったんだ……」と30円のような感想をつぶやき、16時から20時まで寝てしまい、目覚めた瞬間に窓の外が真っ暗になっていることに気がつき、「もしかして朝まで寝ちゃった!? いまって、早朝!?」などという悲しみ溢れるプチパニックに襲われて。それ以外には、取り立ててトピックもなく、ただ空虚な目で時間が経つのを待つだけ。
はっきりと、それは地獄であった。
その時、私は思った。店長が私に与えた本当の罰は、バイト先をクビにすることでも、打刻機を弁償させることでもなかったのだ。この「暇」を私にもたらすことこそが、本当の意味での刑罰であったのだ。
罪を犯した犯罪者に与えられる刑罰は、おおよその場合、禁固刑である。アメリカなどでは、「禁固200年」などといった、高価な梅干しのごとき年数の禁固刑判決が出たりすると聞いている。あれには「外界との交流を断たせる」という目的の他に、「本人の望まない純然とした暇を与える」という意味合いが含まれているのだろう。
「暇」とは、しっかりと苦痛になり得るのである。
もう二度とタイムカード打刻機に水を注ぐような人間にはならない。それが青春時代に得た、私の最大の学びである。
(第4回に続く)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら