イケる。ごまかせる。
私は平然と「自分はこの時間からの出勤なのです」という顔をして、今日のバイトへ臨むことに決めた。
しかし、コック帽をかぶり、手を洗い、さあ毅然とした態度でごまかすぞ、と厨房に足を踏み入れようとしたその時、行く手を阻む思わぬ敵の存在に気がついた。
タイムカード打刻機である。
時給で働いているのだから、このファミレスでバイトしている者は、全員出勤時にこのタイムカード打刻機を使わなければならない。しまった、すっかりそれを忘れていた。これではどんなに遅刻を態度でごまかしたとしても、カードに印字された出勤時間でのちのち店長に遅刻がバレてしまうではないか。これでは、大目玉ではないか。
私は瞬間的に、右脳と左脳をフル回転させた。そして、ひとつの妙案に辿りついた。
タイムカード打刻機に水を注ぎこんだ
このタイムカード打刻機が壊れていた、ということにしてしまえばいいのではないか。
そして私は、悪魔にそそのかされるようにして、手洗い場の蛇口をひねり、グラスに水を満たした。
そして周囲の様子を窺ってから、静かに、ゆっくりと、打刻機の口に、そのグラスの水を注いだ。
「ピロ、ピロ、ピロピロピロ……」
タイムカード打刻機は、まるでR2-D2のような鳴き声を上げたかと思うと、ゆっくりと液晶表示していた現在時間を消滅させ、最後は「プシュン」というわかりやすい断末魔を残して、見事に壊れた。
そこに残ったのは、死に絶えた打刻機と、生まれて初めて器物損壊に手を染めたソフトシリアルキラー(つまり私)だけだった。
完全に悪魔に取り憑かれていたのだろう、私はなにかの達成感を得ながら、厨房に入り、実に爽やかな声で「おつかれさまです!」とおばちゃんに声をかけた。しめしめ。これで完全犯罪は成立した。
しかし、そう簡単に問屋はおろさなかった。
「あなた、いま、タイムカード打刻機に、水を注いだでしょ」
おばちゃんが、まっすぐ、私の目を見て問い詰めてきた。
おばちゃんは、見ていたのである。
おばちゃんは、カタカナには弱いが、それでもカルボナーラとタイムカードの違いくらいは、はっきりと認識できていたのである。
私は慌てふためき、なんとかして取り繕おうとしたが、すでに時は遅かった。そしてようやく悪魔の思考から目が覚め、観念し、すべてを告白した。遅刻をごまかそうとして打刻機に水を注いだことを、正直に述べた。
「とにかく、これは店長に報告しておくから」
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