何の変哲もない石をお金に換えた男の超劇的瞬間 お金の呪いに囚われた彼には救いのように思えた

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「……うそでしょ!?」

引かれたかな、と思ったら、破顔一笑だったので救われた。

「えー、マジー? ずっと小石を持ち歩いてるんですかー? ウケるー。あ、でもこの石、ちょっと可愛いかも。買います買います。200円でいいですか?」

そう言って編集さんは、私の手のひらからひとつ、ピンク色の石を購入してくれた。

石が、小銭に化けた。経済に、バグが発生した。チートが、ミュウが、発生した。

熱に浮かされた「無能の人」

初めて石が売れたその帰り道、私はなんだかスキップしたいような、軽やかな心地に包まれていた。歩くたび、ポケットの中の売れ残り分の小石たちが「ジャッジャッ」と音を立てる。その音が、なんだか心強かった。

やろうと思えば、石は、お金に換えることができるのだ。心強い。急に広大なバックヤードを手に入れたような心強さだ。

このまま、ずっと石をポケットに入れていよう。きっとそれは、私をピンチからゆるやかに救ってくれるはずだ。

石が売れたことで、私は「お金の呪い」から垂直に解放されていた。

真面目に労働しなくてもいいのである。ポケットから小石を出して売るような、不真面目な労働を展開しても、いいのである。おそらく、きっと、いや絶対。

お金にばかり腐心しなくても、いいのである。石をポケットに入れておけば、お金の代役を果たしてくれるのである。絶対、きっと、いやおそらく。

いっそ、どこか駅前に屋台でも出して、本格的に石を売ってみようか。

私の中の『無能の人』が、加速していく。

石は、この世に無限にある。「この小石は3人用だからのび太はダメ」なんて言われても、代わりはいくらでもある。

石が売れたことの高揚感は、私を喧嘩腰にさせてもいた。喧嘩の相手は、もちろん「お金」である。

なんだよ、お金。いままで散々、私にしつこく絡みついてきたくせに、けっこう簡単なことで音を上げるんだな。もしかして、お前って、思っていたよりもたいしたことないやつなのではないか?

「お金があること」が善で、「お金がないこと」が悪であると、ずっとそう思い込んでいた。それはつまり、お金の正体を「天使か悪魔」だと認識していた、ということだ。

でも、このたび、お金と小石が換わる瞬間を見た。そして、小石の正体は、少なくとも「天使か悪魔」ではない。

ということは、お金の本当の正体は、もっと別のところにあるのではないか? その本当の正体を掴んだ瞬間、私は「お金の呪い」から永遠に解放されるのではないか?

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そうだ、石を本格的に売ってみようではないか。なんの変哲もない、地味でしょぼい小石を大真面目に売ることで、お金の実の正体を暴いてやろうではないか。

私はすぐさまホームセンターに向かい、木材を購入した。

そして熱に浮かされたまま家へと帰り、カウンター型の屋台を作った。

小石が売れてしまったばかりに。「どうしてこんなことをするのよ……まともに労働してよ!」と私に訴える人が、誰もいなかったばかりに。

第3回に続く

ワクサカソウヘイ 文筆家・構成作家

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わくさかそうへい / Sohei Wakusaka

1983年に馬小屋ではなく練馬に生まれる。文筆業。コラムやルポを主なフィールドとして執筆活動に勤しんでいる。主な著書に『今日もひとり、ディズニーランドで』(幻冬舎文庫)、『夜の墓場で反省会』(東京ニュース通信社)、『男だけど、』(幻冬舎)、『ふざける力』(コア新書)などがある。また制作業や構成作家として多くの舞台やコントライブ、イベントにも携わっている。父の名は「ヨセフ」ではないし、母の名は「マリア」ではないが、曾祖父の名は「金太郎」であり、曾祖母の名は「くま」である(マジ)。

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