何の変哲もない石をお金に換えた男の超劇的瞬間 お金の呪いに囚われた彼には救いのように思えた

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ネットの個人売買サイトなんかでは、クワガタやキノコ、流木なんかを売ったりしている人たちをたまに見かけるが、あそこまでのポテンシャルを、この小石たちは秘めてはいないのだ。宝石としても、鉱物としても価値のない、いますぐ誰でも拾うことのできる石なのである。だからメルカリで売るとしても、商品紹介の欄になんて書いていいのかわからない。「私が河川で拾った、少なくとも私にとってはよい石です!」と謳ったところで、誰が購入するというのか。私なら買わない。

石の魅力を伝えるためには、きっと直談判にかぎる。

この石はどこで拾い、そしてどの部分に価値を見出して持ち帰ったものなのか、対面式であれば私は事細かに、また熱を込めて、説明することができる。その時、初めてこの小石たちの価値は出現する。そんな思いから、「小石たちを同行させつつ機会を窺う」という販売形式を試してみることにしたのだ。

しかし、思っていた以上に、「どうです、この石」などと投げかけるタイミングは、日常の中にはなかなか存在していなかった。よく考えれば、当たり前だ。何気ない会話の中で、急に「ところで私はいま、石を売っているんですが……」とポケットからジャラジャラ小石を取り出す男がいたら、誰でも今後の付き合いを考えるはずである。むやみに「ヤバイ奴」認定される事態は、避けたい。

スムーズに石をセールスする機会は訪れないまま、それでも私はいつかやってくるかもしれないその時を待つために、常にポケットの中に小石たちを控えさせていた。

「お金の呪いから解き放たれたい」

それにしても、どうして私は、「石を売りたい」という衝動に駆られたのだろうか。

それはつまるところ、「お金の呪いから解き放たれたい」という切実な願いが、そこにあったからなのだと思う。

石は、無料コンテンツだ。どこにでも、転がっている。私たちはそれを、テイクフリーで持ち帰ることができる。

その石に留まっている価値を解放し、それをお金に換えることができたら。

それはすなわち、「石≒お金」という図式が現れたことになり、ワンパターンかと思われた経済に、新たなパターンをもたらすことになるのではないか。そして私はもう、お金で頭を悩ますことはなくなるのではないか。

そして、「なんの変哲もない石を売る」という行為のしょぼさが、私にとっては救いのようにも思えたのだ。

「お金はいつかなくなる」という不安と対峙するためには、真面目に労働するしかない。そんな呪いを鮮やかに打ち消すほどに、「石を売る」という行為は、実に不真面目で、そしてまともではない労働である。ポケットの中にずっと石を忍ばせている図も、たまらないほどに、しょうもない。そのしょうもなさに、私は救いを求めた。

次ページ「真面目に労働するしかない」の呪いから解いてくれ
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