「"平凡な自分"だから"肩書"は3つ持つ」人生戦略 「限りある能力を活かす」平松可奈子の差別化

✎ 1〜 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7 ✎ 最新
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

就任後は、アイテムの企画や販路開拓、アイテム撮影用のスタジオやカメラマンの手配など、ブランド運営に関する「ほぼすべての工程」を芸能活動と並行。苦労の末に提案した、クマとウサギのキャラクターは、ブランドの売り上げに大きく貢献した。

キャラクターを用いたユニセックスのジャージは、一躍大ヒット。発想のヒントは「アイドルの経験を生かしたブランド作りを」という思いだった。

男性ファン、女子アイドルに受けるモノは何か。発想をふくらませる中で浮かんだのが、「握手会でファンの方とアイドルが同じ洋服を着て『お揃いだね』と話す光景」だった。

自身で道を切り開き、成功をつかんだ過去。今に生かされているその経験は「戦略家・平松可奈子」としての一面をよく表す。

成功の「裏側」で起きていたこと

表向きは成功を収めたかに見えた平松だったが、この頃、経済的にはまだまだ苦しい時期が続いていた。

にわかには信じがたい話だが、さまざまな事情により収入は少なく、深夜のバイトなど2つ掛け持ちしていたという。

老夫婦の営む商店での配送の詰め込みのバイトなど、アイドル時代には感じることのなかった側面での苦労を経験できたことに、今でも感謝しているという。

当然、そんなことは世間の人々は知る由もなく、平松本人も口にできなかった。

そんな苦労とは裏腹に、アイドルを卒業し若くしてアパレルブランドで成功を収めたことから、「どうせバックにいる大人の力でしょ」「支援してくれるパパがいるのでは?」などと「ありもしない噂話」に悩まされた時期でもあった。

もちろん、そんなスキャンダラスな事実は今も昔も一切ない。だが、タレントとして身なりには気を遣い、ブランド物など持てば、そのような噂が立つ日々にまた心を痛めていた。

だからこそ、アパレルでは自分がやらなくてもいいところまで参加し、ビジネスパーソンとしての成功を収めるべく奮闘した。そこからある意味「完璧主義」な平松が出来上がったと言っていいだろう。

次ページ「平凡な自分」では生き残れない
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事