大所帯のSKE48で過ごしていた当時から「『平凡な自分』では芸能活動を絶対に続けていけない」と危機感を持っていた。
「人気メンバーとの格差」を感じた経験から当時のことを「挫折した」と平松は表現している。そして上京後も女優としての活動をスタートするも「舞台だけでは食べていけない」と再び焦りを抱えていた。
そこで平松が芸能活動を長く続けていくためにたどり着いた答えが、「秀でたものがなくても、肩書を『3つ』持ち続ければ地位を確立できる」という仮説だった。
「秀でた何か」を「3つ」持っていれば
平松は、「肩書はいくつもあったほうが、活動を長く続けられる」と述べる。その理由を想像するのはたやすいだろう。
「肩書」つまり「自身のできること」「得意分野」を複数持っていれば、仕事の間口も広がり、チャンスが巡ってくる確率も上がる。
では、なぜ「3つ」に絞るのかというと、そこには「信念がある中で、がんばれるものが3つ」だという思いがあった。
SKE48の卒業後に所属した劇団発のアイドルユニット「虹色の飛行少女」に在籍していた時代には「アイドル」「アパレルブランドのディレクター」「女優」を兼任。
のちにユニットを卒業してからは、「アイドル」の肩書が1つ減って全部で2つとなったので、過去の経験を生かして「アイドル衣装デザイナー」という肩書を増やし、また「3つ」に戻した。
20代で上京した当時は、芸能界で大手事務所のバックアップなくして、30代でも食べていけるほどの収入を確保するのは難しいと考えていた。
その頃に比べれば収入が安定したと実感できる今でも「手に職をつけなければ」という焦りはあるという。