「"平凡な自分"だから"肩書"は3つ持つ」人生戦略 「限りある能力を活かす」平松可奈子の差別化

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他のメンバーが「自身の日常を発信」しているのに対して、平松は「洋服やメイクの発信」を増やした。すると、握手会の列に彼女に憧れる女子が並ぶようになった。

気がつけば「グループ内で、女の子のファンがたくさん並ぶ場所を確立できた」と平松は当時を振り返る。

アイドル時代の苦悩の末たどり着いた「戦略」

何を隠そう、これこそが平松の強み「セルフブランディング」の技術だ。それはアパレルディレクターとしてビジネスの世界に飛び込んでからはもちろん、アイドル時代の苦悩の末たどり着いた「戦略」である。

経営者だった父は読書家で、書斎にはいつも多くのビジネス書があったという。幼いころからそんな父を目にし、いつしか自分もむさぼるようにあらゆる本に目を通し、そこで得たヒントを実践した。そして、たどり着いたのが平松のブランディング戦略だ。

アイドルとしてのポジション確立のために得た知識と行動は、後の平松を助けることになる。

2013年、SKE48から卒業。グループの活動と並行して大学を卒業した努力家でもあったが、グループ卒業後はアテもなく故郷の愛知県から上京した。

モデルの活動がしたい……。上京後、その思いを胸に前事務所へ所属した平松。しかし、当時の事務所にはファッション関係のツテがなく、自身で道を切り開くしかなかった。

カメラマンにみずから「作品撮りしてくれませんか?」とDMを送り、ツイッターでは「雑誌に出たい」「ブランドをやりたい」とつぶやき続けた。

成果は少しずつ出始め、個展モデルなどの仕事が実を結び、いつしかファッション誌『CUTiE』(宝島社)や『LARME』(LARME)から声をかけられるようになった。

その頃、「プロデューサーになりませんか?」と声をかけられたのが、のちに「人生の分岐点」だったと振り返るアパレルブランド「Honey Cinnamon」からのオファーだった。

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