沢木耕太郎が25年かけて書いた密偵の長大な旅路 彼が「天路の旅人」を何としても世に出したかった訳
かつてのインタビューで、沢木は「旅も人生も1人がいい」と語ってくれた。人間とは、自立し自己完結したひとであったほうが旅も人生も深まり、楽しいものなのだと。執筆は壮絶な作業だったに違いないのだが、それでも発するものは悲壮感などでなく、やり遂げた達成感と、天の抜けるような解放感であるのは、やはりこれが沢木耕太郎という作家なのだと思う。
父に似た人
沢木が「この希有な旅人のことをどうしても書きたい」と、西川一三に”執着”のような関心を抱いたのには、もしかして同じ旅人としての魂の邂逅のようなものがあったのだろうか。
「西川さんも僕も、お互い家族はいても、どこかやっぱり1人で完結する部分をわりと多く持っている。全部じゃないけどね。その意味では、西川さんも僕もわりと近いものがある。ただそれよりも『無名』っていう本に書いたんですけども、僕の父は普通の市井の人で、比較的貧しい生活をしていて、1日1合のお酒と1冊の本があればそれで満足というような人だったんです。家族には優しい人ではあったけど、経済能力はあまりない。だけれど、僕らの家族は父の生涯を尊敬していたと思うのね」
「西川さんも商店主として生きて、お昼はカップヌードル1杯とおにぎり2つを食べて、仕事が終わると居酒屋で2合のお酒を飲んで、自転車で家に帰ってテレビを見たり新聞を読んだりして、そして眠るという日々を何十年も続けたわけよね。そこのありようっていうのが、どこか西川さんと僕とって言うより、僕の父と近いものを感じるんですよ」
「西川さんは実は若い時にこんなことを成し遂げているんだよって。だけどそれを人に大声で説明するでもなく、淡々と生きた。人生に多くを求めず、あるもので満足して、日々を過ごして静かに死んでいくっていう、それを絶対不満と思ってなかったと思う。そういう生のあり方、多くを求めない、何か完結した人生っていうものに対する敬意はありますね」
なんでも欲しがり手に入れて、路上で店を広げて見せるのとは真逆の生き方。身仕舞いの良さ、潔さのようなものが、彼らには通底している。
「西川さんには、旅が2つあったわけです。1つは密偵としての旅。もう1つは、敗戦を知ったチベットのラサから始まった、それとは別の自由な旅。国からの援助もなくなり無一文となったけれど、彼が使命や国から解き放たれて、徐々に自由になっていく旅なわけですよね。その中で語学という言葉を獲得し、人との関わりを獲得し、働いて食べ物を獲得していく。それは僕に言わせると極めて純度の高い旅だったと思うんですね。何もない。何もないから、人間として本当に必要なものを手に入れていく」
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