沢木耕太郎が25年かけて書いた密偵の長大な旅路 彼が「天路の旅人」を何としても世に出したかった訳

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日本の敗戦に深い喪失感を抱きながらも、「国家という後ろ盾がなくとも、ひとりの人間として存在していけるという確信が生まれ」たその矢先、西川はヒマラヤ山麓の町で逮捕され、GHQ占領下の日本へ送還される。帰国後は、敗戦によって情報価値がほぼ灰に帰した中、GHQに対して自らの旅を形式程度に報告し、自身の旅の記録として『秘境西域八年の潜行』を著す以外は縁もゆかりもない盛岡で商店主として勤勉に働き、2008年に没した。

作家・沢木耕太郎は「密偵や巡礼としての旅そのものより、日本に帰ってきてからの日々をも含めたその人生」に激しく共鳴し、すでに80代となっていた西川本人へ25年前に接触。1年にわたりインタビューを重ねるが、本人の確固たる著作があるという前提のうえに「どのように書けばいいかわからない」「西川を描く、その書き方が発見できな」い、との逡巡から、インタビューを中断したまま10年余が過ぎてしまったところで、西川の訃報を知って「約束を反故にしてしまった申し訳なさ」に打ちひしがれるのである。

「やっと日本に帰れたんですよ、僕も一緒に」

だがその後、沢木は西川一三の『秘境西域八年の潜行』生原稿を預かったまま処分できずにいた編集者にたどり着く。そのとんでもない僥倖が、一度途絶していた沢木の創作を再開させるのだ。沢木はすでにかすれて読めないような部分もある、バラバラで未整理の膨大な生原稿3000枚の入った2つの段ボール箱を引き取り、7年前にもう一度、西川一三の旅の軌跡を書き始めた。

(撮影:梅谷秀司)

若き日の西川が内蒙古から中国の奥地へスパイとして潜行した旅路は、正式な手続きによる報告書が残されているわけではないため、確かな記憶も記録も失われている。西川本人の帰国後の記憶をもとにした私的な記録だけが根拠だ。彼の生原稿と文庫版をつきあわせ、公の資料を加えて精査し、そうした曖昧さや欠落や齟齬を埋めて、沢木の言葉で再話していく7年間の作業。それすらが、この作家にとっては魂の旅路のようなものだったのではないか。

沢木は本書『天路の旅人』のあとがきでこう書いている。

「ここ何年と、新型のコロナウイルスの流行によって外国に旅することができなくなってしまった。だが、実を言えば、私はほとんど退屈してなかった。ある人物の旅の全体像を把握するため、書物上で、地図上で、あるいはグーグルアース上で、その足跡を追い続けていたからだ」

そりゃ退屈しませんよねぇ、むしろ大忙しだったんじゃないですか先生、そう嘆息して訊いたら、沢木は愉快そうに苦笑した。

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