沢木耕太郎が25年かけて書いた密偵の長大な旅路 彼が「天路の旅人」を何としても世に出したかった訳

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このずっしりと分厚い『天路の旅人』、沢木は第7稿ほどまで書き直したのだというから、その熱量たるや。執筆の道程では、初めから書き直すというレベルの試行錯誤が三度も続いたという。「自分で言っちゃうけど、ほんとにえらい。みんなにも、よくこんなに根気が続いたねって言われるよ」。”あの沢木耕太郎”がまるで弾けたように率直な解放感を表現してくれる姿が新鮮で、なんだか聞いているこちらもうれしくなってしまうほどである。

「僕は本当にまったくの家内工業なわけですよ、
あらゆる作品がね」

「僕の場合は、最初から最後へ書いていく書き方ではないんです。書き始めたのは、彼の旅が始まる、雪の中駱駝を引いてトクミン廟を出発するところ。でも旅程の順を追っては書けないんですよ。例えば今月はここ、だけど次のところは生原稿の情報が欠けていて執筆が困難になってしまったということで、その次へ飛んだり、それがだんだんつながってきて。だけど根本的な問題で言えば、書き始めた7年前から、何度も文体のスタイルが変わっていったんです」

「3分の2ぐらいまで行って、やっぱりこのスタイルではないというので、スタイルを変えてもう1回やり直して。そして、それでもないと思って、だからこの本になっているのは3つ目のスタイルですね。結局これは何のてらいもない、最も平凡なスタイルに落ち着いたんです。ごく普通の、どこにでもある……スタイルじゃないスタイル。僕にとってはわりと珍しいスタイルで書いてるっていうことなんですね」

西川の軌跡を追った旅路の部分は、事実を記していくためにオーソドックスな書き方に落ち着いたということらしい。沢木らしい、随筆の味わい深く流れるような文体は、この本の序章と終章の部分に大いに発揮されており、その切り替えもまたファンにはたまらない仕上がりとなっている。だがなにせ、資料を読み込みながら事実をつき合わせて正しく書き記していくことへのエネルギーが凄まじい。

「僕は、本当にまったくの家内工業なわけですよ、あらゆる作品がね。仕事で人に何かを頼むことはほとんどない。だって自分でやらなきゃわからないからね。例えば電話がかかってきたから出ると『秘書の方はいないんですか?』なんてびっくりされるけど、そんな秘書だなんて、他人に仕事部屋に居てもらっちゃ困る。せっかく1人でいられる場所を確保してるのに、鬱陶しいじゃないですか」

「自分が遭遇したテーマと付き合って、あるものは1年でできるかもしれないし、あるものは20年かかるかもしれないけど、それはそれで全然いいわけよね。1人で責任を持って1人で楽しんでるわけだから。だから例えば取材が、データマンの責任で誤解が生じてしまったなんていうようなことは僕にはありえないんで。何か問題を起こしたとすれば、それは僕がいけないだけの話だよね」

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