死後52年「三島由紀夫」が心酔した書「葉隠」の中身 「わたしのただ一冊の本」とまで呼んでいた
『葉隠』は、江戸時代中期の武士道書です。佐賀藩士・山本常朝(1659~1719)の言葉を、同藩士の田代陣基(1678~1748)が聞き書きし、約7年かけて書物にまとめたものであります。武士のあるべき姿を説いた武士道書であり、「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」との名句は、誰でも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
その『葉隠』を愛読した作家がいました。それは『仮面の告白』『金閣寺』ほか数々の名作で知られ、ノーベル文学賞の候補にもなっていた三島由紀夫(1925~1970)です。
ある程度の年代の人にとっては、1970年11月25日、三島が民兵組織「楯の会」隊員とともに自衛隊市ヶ谷駐屯地に突入し、自衛隊の決起を促す演説をした直後に割腹自決したことのほうを鮮烈に記憶しているかもしれません。今年(2022年)2月に亡くなった作家で元東京都知事の石原慎太郎(1932~2022)は、「三島がいつも手放さずにいる佩刀が『葉隠』である」と書いていました。
葉隠が説く「死」に深く心を寄せていた
三島は、戦時中から『葉隠』を読みだし、戦後も折に触れて、読み返していましたが、同書を「いかにも精気にあふれ、いかにも明朗な、人間的な書物」(三島『小説家の休暇』講談社)、「わたしのただ一冊の本」とまで心酔していました。三島には『葉隠入門』(新潮社)という評論まであります。
三島は『葉隠入門』のなかで「葉隠のいっている死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じだということを葉隠は主張している。われわれはきょう死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない」と書いていますが、『葉隠』が説く「死」についても、三島は深く心を寄せていたのです。
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